望まれる。
ロースクール生だった頃
同じ教室で 机を並べて勉強していたひとたちが
弁護士のタレントとして出演しているのを
この頃よくテレビで見かける。
彼らを ぼんやり眺めながら
いつかの自分も 弁護士か なにかになった暁に
そんなふうにして 華やかな
あの黒くて四角い箱のなかに入る自分の姿、
なんかを 勉強の合間に 空想して
原動力にしていたことを ふと 思い出して、
微笑ましく思う。
ずいぶんと 無闇に いろいろなものに手を伸ばし
手に入れることを望んでいたもんだな、と
遠い自分を 思い返す。
いまの自分は…
自分が望む場所にたどり着く ことではなく
自分が望まれる場所にたどり着きたい、
と 切に 思っている。
そのために、なによりもまず
だれかに「望まれる」自分であることができるよう、
その位置に自分を到達させなければならない。
能力的にも、人格的にも。
いま…
勉強が楽しくて仕方ない。
予備試験、司法試験に挑めることが
うれしくて仕方ない。
今日までの自分が経験してきた辛いこと苦しいことが
形を変えて、
どなたかの心を温める薪になる日がくるかもしれない…
そんなことを考えていると
これまでのすべての出来事に手を合わせたくなる。
望むものを手に入れることのできる人生は素晴らしい。
けれども、それ以上に
ひとから 「望まれ」
それに心を込めて「応える」ことのできる人生は
稀有であり、
いまのわたしは
そんな人生に強く惹かれている。
先日の長女のお弁当。
朝寝坊をしたときは、時短オムライスで挽回します。