まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

すべては今。

ぽかぽか陽気が続いていたある日。
ひとりで京都に行く用事ができた。
まったく、めんどうだよねぇ…なんて言葉を
わたしが留守のあいだ子どもたちを見てくれる夫に
放り投げながら、
こころのなかでは るんるんスキップしていた。

ひとりきり、
京都にむかう電車のなかでテキストを開き
民法の世界に 入り込むことのできる しあわせ。
自分の意思のみで時間を組み立てられる環境を手放すまで まったく認識できずにいたなぁ。

5分に一度は勉強を中断して
こどもたちの可愛い依頼に応える日常は
愛おしくも ときに自分が摩耗しすぎてしまう。
油断するとたちまち、いつもは遠くに置いてある
いろいろな灰色の想いにのみこまれそうになる。

「もう、やめた。効率がわるすぎる。疲れた。
全然思うように進められない。
すこし先のいつか…
もうちょっと まとまった時間が確保できて
落ち着いて勉強できる時期がくるまで、
いったん勉強から離れよう。」

そんな考えがむくりと湧きあがる。
自分のこころのささくれが、家族のこころを擦ってしまいそうで立ちすくんでしまう。

それでも… 自分を覆う灰色のものを振り払うように
這ってでも前に進みたいと思う。

集中して勉強に全力で向き合える「いつか」なんて
待っていても いつまでも来ない。
今できることを できる範囲で やるしかない。

来る日も来る日も…自分に語りかけている。



ハンセン病療養所で患者たちに献身した精神科医
神谷美恵子さんの日記に記されていた言葉を読み返す。

《私は時々たまらない自己嫌悪に陥ってやりきれなくなる。しかし、自分のなすべきことについてこれからはもう絶対に遠慮や気兼ねをすまい。》

《機会と境遇に恵まれている時に、全力をつくさなかったら、勉強は永久にできないではないか。》



京都での用事を済ませたあと、卒業後 一度も近づいたことのなかった(近づく気持ちになれなかった)出身ロースクールに9年ぶりに立ち寄る。
お昼休憩で教室からでてきた たくさんのロースクール生たちとすれ違う。


ココにいたときの自分は、
機会にも境遇にも恵まれていたのになぁ…
ぼんやり考えながら、校舎をあとにする。

いや、違う。信号で立ち止まり思考を改める。

当時の自分は 大切なひとを亡くし、法曹への想いも消え失せ、勉強に心を向かわせることすら困難だったではないか。あの場を去ることのできる日が来るのを切に願って過ごしていたではないか。

それに比べたら、今の自分のありようのほうが遥かに機会にも境遇にも恵まれているではないか。

あぁそうか。懸命に突き進むために「完璧」な「理想的」な環境なんて、あるようでないものなのかもしれないな。

今がいちばん 機会と境遇に恵まれている。

常にそう思いながら、目の前の事にあたるしかないのだと思う。




現在の勉強可能時間 ⇨ 1日30分〜1.5時間
現在の進捗具合⇨
アガルート 総合講義100民法 終了、
アガルート 総合講義100憲法 4割、
アガルート 重要問題習得講座 民法5割。
民法択一過去問 ぼちぼち。




お土産に買った かわいいドーナツ。

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