まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

離れる。

長女のスイミングの待ち時間は、
アガルートの「論証集の使い方講座」を聴きながら
長女の様子をながめ、ときどき
テキストの内容を確認する、といった過ごし方をしているのだけれど、
きょうは あいにく
レコーダーもイヤホンも 忘れてしまった。

仕方なく 唯一持ってきた 論証集の読み込みをしようと思って 気持ちを切り替えたのだけれど、

右側に座っている お母様方のおしゃべりが
まぁ、とどまることを知らず ことばの洪水状態で
うっかり巻き込まれた私はいま 溺れそうになっている。
というか、勉強を諦めてこれを書いているということは
もう とっくに あらがえなくなっているということだ。

情け無い…


壊れた蛇口から水が噴き出すような おしゃべりが
まだ 続いている。
この調子だと 最後まで、止まりそうにない。


頭が痛くなってきた。





どうしたものかと、
(それこそ本当に頭を抱えて)悩んでいたら ふと思い立った。
朝早く来てせっかく確保した席を離れ、
階段に移動してみたのだ。


パソコンを打って仕事をするひと、

穏やかな表情で本を読むひと、

じっと新聞を読むひと。


静寂。居心地のよさ。


ほんの数歩の世界のちがいで ここまで変わるものか、
と おどろき 喜び、こころのなかで
ぐっと こぶしをにぎりしめ
こみあげてくる笑みをこらえつつ、
階段に腰を下ろした。




学校、職場、習い事、住んでいる場所、親戚…

自分が望んで選びとった場所や人間関係ですら
心が拒絶する場面にでくわすことは 意外によくある。

「自分が選んだことだから。」

「自分以外のみんなは、平気にこなしているから。」

「自分のがんばりが足りないから。」

なぜかそんなふうに、自分の心が、
今いる場所や人間関係からダメージをうけたとき、
その原因を自分自身のなかに求めてしまう。


でも、それはちがう。


そんな場所から、人間関係からは、一刻も早く
できるかぎり遠く 距離をとらなければならない。


雨が降ったら、傘をさす。
傘がないなら、雨が去るまで雨宿りをする。


あれこれ理由を考えたり、
自分を責めたりするのではなく、
とにかく 自分の身と自分の心を守ること。

それが、
自分以外のだれにも迷惑をかけず、傷つけずできる
いちばん有効な方法だと、わたしは 考えている。


そんなことをすると…
なんだかひとりぼっちになりそうで、
自分だけ 変わっているのかな、なんて不安を抱えてしまうこともあるけれど、
意外に、世の中には
そっと傘を差し出してくれるひと、
雨宿りした先に 同じような考えを持ったひとが、
いたりする。


その場に適応することよりも、
自分を保つことを選択するほうが
「あたりまえ」な感覚が広がっていけばいいのになぁ、と思う。


さて。勉強、勉強。


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