命綱
さっぱりわからなかった。
いったい いつになったら、自分は
この毎日ふりかかってくる膨大な量の法律の知識を、自分の懐に秩序をもって納め
適宜、適切に取り出すことができるようになるのか。
周りにいる たくさんの優秀なロースクール生たちが、自分には到底できない法律の難しい議論をしている姿を眺めながら、
「ドウシタラ、ソコニ、タドリツケマスカ?」と
日々、こころのなかで つぶやいていた。
目の前の大量の課題をこなすだけの毎日。
単位をなんとか落とさないように。
問答形式の授業で当たったときに せめて恥をかかないように。
こんなことをいつまでも続けていても
結局、彼らには敵わない。自分ではダメなのかもな…との想いがだんだん強くなってきた頃。
「要件事実」という授業が始まった。
当時のロースクールには、
優秀な旧司法試験受験生が多く在籍していたのだけれど、彼らにとっても あまり馴染みのない科目だったのだと思う。
他の科目に比べて、とりわけ自分だけ知識量が劣っている、と感じずにすんだからか、わたしは「要件事実」という講義だけは楽しかった。
ブロック・ダイアグラム、といって
請求原因やら抗弁や再抗弁やらを順に組み立てて並べる課題がでた。
よくわからないわりに時間のかかる課題だったため、どなたか優秀な学生さんがひとり作成した模範解答のようなものが、生徒の間に出回って みんなそれを基にしたレポートを提出していた。
私は自力で課題に取り組むことにした。
なんでかわからないけれど、この課題には誠心誠意取り組んでみたいと思った。
ひとつひとつ、ブロックをつくり、ああでもないこうでもないと組み立てた不恰好なレポートが完成し提出した。
数日後、返却されたレポートを見て、涙が出た。
いまの自分のままでいいから、もうすこしだけがんばろう、
と思うことができた。
レポートを採点していただいた「要件事実」の先生は、現役の裁判官の方だったため
短期で別の場所に移ってしまわれると聞いた。
レポートの件が本当にうれしかったので、
「要件事実」の講義が終わってから数ヶ月後、意を決して 先生にお礼を伝えにいくと、
先生は穏やかに私の話を聞いて そして
大丈夫です。
その調子で頑張ってください。
と言ってくださった。
以来、このレポートはわたしが法律から、司法試験から離れないための 命綱になっている。
認めてもらうこと。
そのままの自分で進んでいきなさい、と見守ってもらうこと。
よく頑張っていますよ、と褒めてもらうこと。
自分自身に対しても、
自分がそうしてあげることのできる他者に対しても、
たえずそんな優しく強いメッセージを送ることを大切にしたいと思う。