参考にさせていただきます。
これはだれにも負けないぞ、
というくらい がむしゃらに勉強したのに
あっさり 見事に 負けたことがある。
大学受験。
高校三年間は 第一志望の大学に現役合格する
ことだけを考えて、自分のすべてを
そこに向けて捧げていた。
ほんの少しの休憩時間ですら、食事中でさえ
「この数分間も ライバルは前進しているかもしれない。負けたくない。」
と、まったく気が休まらなかった。
睡眠不足と過労で、慢性疲労になり
起き上がることができなくなった時期もあった。
でも、結果はまったくついてこなかった…
必死な努力の先にあった景色のなかにいたのは、
合格掲示板の前で、隣で胴上げされて喜ぶひとたちの声の渦のなかに 呆然と立つ自分の姿だった。
原因はかなり時間が経ってからわかった。
アルバイトや仕事で、自分がひとに教える立場になってから ようやく気づくことになった。
『努力の方向』が間違っていたのだ。
明らかに。はっきりと。誤っていた。
大学受験に向けて私が選択した勉強方法は、
本屋さんの赤本コーナーのほど近くに置いてある第一志望校の『合格体験記』を熟読し、
片っ端からそこに書いてある参考書を買い集め、その合格者が「こんなふうにやりました」と書いているとおりのことを 自分もまったく同じようにやる、
という方法だった。
現時点での自分の立ち位置を正しく把握し、
到達すべき位置との距離を縮めることを追い求めず、
「合格者がやったことを同じようにやっている自分」であることを追い求めてしまった。
たまに、駅伝の中継で うっかりコースを間違えて あさっての方向に勢いよく飛び出しているのに気付かず走り去ってしまう選手がいるけれど、
試験の神様からみた 当時の私は まさにそんなふうに映っていたと思う。
あ、あーぁ…って、見ていたのかしらと思う。
そんな経験と、その古傷が自分のなかに刻まれていて、いまだに ちくっと痛むときもあるものだから、
試験でうまくいった方のお話などにふれるときには 心のどこかでこう思っている。
「そのお話。参考にさせていただきます。」
まずは、自分だけをよく見て、
次に到達したい地点を正しく把握して、
その間を埋める方法で自分がやりたいと思う方法を絞って。
その上で、取り入れることができるものが成功した方のお話のなかに見つけることができたら、それでもよくよく考えてから慎重に取り入れる。
あくまでも「参考に」させていただくよう、
決して「基盤に」しないように、気をつけている。
そこを目指している者からすると、
成功した方、合格した方は眩く、きらきらしている。
その差している後光に目がくらまぬように。
自分を見失わないように。
長女お気に入りの キーホルダー。
たい焼きなので、おなかを押すと
あんこ がでてくる。