すべてを懸けて。
父の命日。
心がすーっと落ちていく感覚がする。
海におとしたカナヅチみたいに、静かに下に下にと沈んでいく。いつもそうなる。
「悲しみを乗り越えて」とか
「いつか辛い気持ちも癒えるから」とか
気遣いのお言葉をいただいてきたけれど、
そういうものではないんだよなぁ、と心がそっぽを向く。
それに加えて、
励ましの言葉の前につけてくださる、
「自分にはあなたのような経験がないから、わからないけれど…」という枕詞にも、
私に向けられた発話者からの
〈「そんな経験をしたあなたは可哀想、お気の毒」という不必要な哀れみや、
「自分はそんな経験をしなくてよかった…」という発話者の内心にある安堵感〉が一気に伝わってきて そのたび ちくちく胸が痛むのだった。
そんななか、何も言わないひとがいた。何も言わずにそこにいて、私が何か話すと うんうん、と丁寧に話を聞いてくれるひと。
あと…父が他界したお正月に『あけましておめでとう。こんなこと言うと不謹慎やと思うけど、でもやっぱり「あけましておめでとう!」って、気持ちで 明るいほうを向いていってほしいねん。ほんまに応援しているから。』とメッセージをくれたひともいた。
父が他界して以来、
ぐっと固く閉めていた心の蓋が
ふわっと浮いて 風が通り抜けるような感じがした。
きれいに整ってるけど 温度の無い「言葉」。
と、
どんな形をしていようとも
心の奥の方にまで染み込む 温かく優しい「想い」の宿った「言葉」。
その両方に時を同じくしてふれた経験と感じた気持ちを、ちゃんと心に留めて ひとと向き合いたいと思っている。
辛い、悲しい、苦しい…
そのような状況にあるひとと 多く出会い
まっすぐに向き合っていく仕事に就くことに、
なかなか自信と覚悟を持てずにきたけれど
このごろは、
父と会えなくなったあの日から積み重ねてきた
選択や日々が 力を貸してくれる気がしている。
弁護士は全人格をかけて行う職業だ、
とよく聞くけれど、
自分を構成する一部分だけでなく、
すべてを懸けて
物事にあたることができる仕事に就くことができたら、
それほど幸せなことはないよなぁ…と考える。
きょうも、あの日とおなじ高く澄み渡った空だ。
勉強机からの風景。