ノートにも種類がある。
この前 ふと気づいたことがある。それは、
ノートには 2種類あるのではないか…
ということである。
①インプットを目的として作られたノート。
と
②アウトプットを目的として作られたノート。
の、2種類である。
省ける時間があるなら可能な限り省きたい。
そう思っている自分が考える理想の形は
①は自分では作らずに済ませて、
②だけは自分の手を動かして作ることである。
このような考えに至るまでには以下の経緯があった。
自分と相性のよい基本書や参考書と出会えていなかった時期(ロースクール時代)は、
仕方なく①のインプット用のノートを作っていた。
自分の思考過程との相性が良い
そのまま読んで頭におさめることができるもの
(基本書や参考書や誰かが作ったレジュメやノート)
があれば、作らなくて済んだのだけれど、なかった。
テストは迫ってくるし、インプットはしなくちゃいけないし、
で、ほんとうに仕方なく作っていた。
こんなふうに。
コツコツ作っていたわけでなく、
テスト前にぶわぁぁぁっと一気に作っていた。
気乗りしない作業だった。
もちろん無駄ではないけれど、
費やす時間から得られる効果、を評価すると
この作業は 10点ちゅう5点くらいだと思う。
なんせ、
インプットの準備として
得た情報を整理する 単なる作業なのだから
省けるものなら省きたかった。
それから数年後。アガルートと出会った。
アガルートのテキストなら、
自分のあたまに直接インプットができる!
もう①の作業をしなくてもいい。やったぁ。と小躍りした。
以来、
ノート作りをしなくなったのはもちろんのこと、
「書く」こと自体を
テキストへのメモと線引き、
問題演習で簡単な答案構成をいらない紙に書いて捨てるため
にしかしなくなった。
けれども最近、
自分の理解に不足を感じる場面が度々あり
問題演習をするときに
答案構成を書いて捨てるのではなく
そのときの思考過程を書いて残す(ノート化する)ようになった。
あれほどノート作りを避けてきた自分が
どうしてこんなことをするようになったのかしら、
と犬を散歩しながら考えていた。
そのときふと思い至ったのである。
ノート作りにも2種類あるのかも、と。
いま自分が好んで作っているノート(②)は、
自分のあたまの中にある知識を絞り出したもの、
アウトプットしたもの、を記したものである。
つまりこれは、
現時点での自分のあたまのなかを
ノートにそのまま写して 視覚化したものである。
これをみれば、
自分がまだ未到達な部分を認識することも、
補充した部分を あとで再度確認することも、
明確に行うことができ、
効率よく学習を進めることができるようになったと、
いまの自分はとても満足しているのだと思う。
今後しばらくは、
アガルートのテキストを①のノートとし、
問題演習の答案構成と
それに対する自己添削を書いたものを②のノートと位置づけして、
進めていきたいなぁと思っている。
マインドマップは、ノートの役割として
①インプット と ②アウトプット
どちらの目的にも応え得るものなのかもしれない。
けれども、
自分にはあのマインドマップの形状が
どうも木のオバケに見えてしまって
見るたびに 心がたいそうざわつくのと、
なんやかんや書き足していくうちに
結局こんがらがっちになるので、合わないみたいだ。