まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

まえをむいて。

 

「このごろ気持ちが落ち込んでいるんだよね…

そろそろ志村けんさんの番組、テレビでやらないかなぁ…」

 

数週間前、娘に何気なくそう話していた翌日、

テレビをつけると 志村けんさんがいました。

なんとまあ!

娘と顔を見合わせて 度重なるうれしい偶然を喜びあいました。

2020年3月4日。志村けんのだいじょぶだぁ。

録画をしながら、こどもたちと楽しく観ました。

 

天国のおじいちゃん(私の父)が亡くなったとき。

ロースクール円形脱毛症になりながら歯を食いしばって勉強していたとき。

結婚して環境の変化に息苦しさと辛さを感じていたとき。

妊娠出産で長期的に体調がすぐれず心も身体もひどく落ち込んでいたとき。

窮屈な人間関係に行き詰まり苦しかったとき。

自分だけ取り残されたような孤独感から逃れられなかったとき。

 

自分のこれまでの日々のなかで、

だんだん積み重なっていく辛い気持ちが限界点に近づいてきた まさにそのタイミングで…

ほんとうに ちょうど。

ふいにテレビをつけると 志村けんさんが

バカ殿で、ひいちゃんで、変なおじさんで…

笑わせてくださり、わたしは救われてきたことを、

「お母さんがしんどくなると、

なぜかちょうどのタイミングで テレビに志村けんさんが現れるのよね。」と、

こどもたちには何度も話してきました。

 

 

だから…

志村けんさんが居なくなっては困ると、

だめだめ、絶対だめ!と、

この数日間 祈りながら願いながら過ごしました。

 

誰だっていつなにがあるかわからないことを

父の死から強い傷みと共に教わりました。

そのことを忘れずに毎日緊張しながら覚悟をしながら生きてきましたが、

やはり悲しいものは悲しいですね…

 

覚悟があったからって、

仮に心の準備ができていたとしても、

悲しみが減るわけではないです。

 

どんなものであっても

「死」に意味を求めることは、私はあまり好きではありません。

誰かに何かを伝えるためにその方の「死」はあるわけではなく、

そこにあるのは、

残された者が 

到底受け止めきれない目の前の現実を扱いやすくするためにつくりだした

安易な「意味」なんかではなく、

 

「生きたい」という想いと、「生きてほしい」という願い。そして…

絶望的に大きな「悲しい」と「寂しい」が、

静かに重く横たわっているのだと私は思います。

 

いまこのときにも涙がでてきてしまいますが、静かにゆっくりと受け止めていくしかありませんね。

 

 

 

勉強もままならない日々が続いています。

時間的余裕がないこと以上に、精神的にゆとりが持てない場面が積み重なってきています。

家族を、こどもを、心身共に健やかであるよう守る。

そして誰かの大切な人を守るために、

いま自分ができることが我慢や自粛という方法しかないのならそれを粛々と遂行する。

 

ささやかなことばかりですが、自分の務めを果たすことでいまは精一杯に感じます。

 

けれども。

行政の現場からこのウイルスと対峙している夫や、

医療の現場からこのウイルスと戦う友人を近くで感じる日々のなかで、

自分にできることはもっとないのか、

いまの自分に無いのならばこの先必ず増やしてみせる、という想いも

心の奥の方で強くなっていきます。

 

無事、予定通りに予備試験、司法試験が行われるのか、私が今年出願していたならば 

いまとても気がかりで不安に感じることと想像します。

近い将来、どうしようもない困難にぶつかっている方々に光を見せるお仕事をなさる

予備試験・司法試験受験生の皆さまですから、

 

持ち前の強い心と蓄えた知識を携えて

ぐっと踏ん張り ここを乗り越えて、乗り切ってくださいますよう切に願っています。

 

応援しています。

私もがんばります。

 

 

 

 

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