試験に受かる、ということ。
『試験に受かること』は、
予想問題が当たったかどうかで左右されるような薄っぺらな評価基準をクリアしたからではなく、
さまざまな境遇や想いを携えながら、
個々人それぞれの目の前に伸びる合格までの道のりを
泣いたり喜んだり悩んだり乗り越えたりしながら
試行錯誤を繰り返して歩み続けることでようやく身につけることのできた経験、感性、知識を
その人の資質として高く評価された結果であると思う。
AIを使った予想問題が的中したことにより"低くなった"『試験に受かること』の壁を楽にまたぎ 、
"まずは"実務のスタートラインに立とうものなら、
そのような合格の仕方をした
本来その試験が要求している最低限必要な資質を持っていない人間が
とりあえず「実務」での場数を踏むための
練習材料となる依頼人はたまったものではない。
そもそも、各試験が求める能力や人材に大きな変化がない限り、その試験に出題される問題の傾向にも大きな変化があるわけがなく、
過去問の蓄積が存在する限り予想が的中するのはAIを使わなくとも当然のことである。
これまでもこれからも過去問演習を懸命に積み重ね、
真摯に試験が求める資質を身につけようと取り組む多くの受験生の努力が、
正当に認識され評価される世の中であってほしいなぁと強く思う。
お商売も大変だとおもうけれど、
『ホンモノ』を提供して対価を得ることを軸に置くことは忘れないようにしたいなぁ、と思う。