まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

勉強が手につかない日々。

 

長女を転校させました。

父を予期せぬ時期に突然無くし大変辛かったときに、高校や浪人時代の友人に精神的に支えてもらった自分自身の経験から、

長女(ゆくゆくは次女も)には家庭以外にも心の拠り所を早くから持てるように、と長く深い人間関係を構築できるであろう小中高の一貫校を選び入学させました。

入学から数年足らずで、それは間違いであったと気づくことになりました。

 

長女の学校教育において、

「おや?」と違和感を覚える場面を数多く積み重ねてきたなかで、決定的となった出来事は

長女のクラスメイトがいじめを受けている最中、長女とほんのひと握りの児童を除いては、皆「見て見ぬ振り」または いじめに加勢していたこと、

さらには教職員までもが 教師の目を盗んで起きている いじめに対し「見ないふり」の姿勢を貫いていたことでした。

 

児童が いじめが起きていることを職員室にいる教師に伝え助けを求めに行くと「自分たちで解決しなさい。」と追い返す対応がなされていました。

保護者に対しては「こどもたちの力を信じています。だから、自分たちでトラブルを解決させています。」と単なる教師の職務放棄を正論のように話していました。

 

いじめの主犯格にやめるよう抗議しても暴力で突っぱねられ、教師に助けを求めても「知らぬ、存ぜぬ。」の対応を受けた長女は、それでも いじめられているクラスメイトをどうにか助けてあげたい、と涙ながらに私に訴えてきました。

 

いじめを受けている側は、

いじめ行為そのものから傷つくのはもちろん、

いじめ行為を目の前で「見ている」「知っている」はずの周りの人間が【見て見ぬ振り】をすること、その不作為自体にも深く傷つくことを伝え、

いじめられているクラスメイトをなんとか助けたい、と想う気持ちやそれに基づき行動した長女の判断はとても素晴らしく 親として誇りに想う旨伝えました。

 

その上で、いじめを受けている被害児童を助けるために いま何ができるかにつき長女とふたり長時間にわたり話し合いました。

裁判でも日記やメモなどの記録は大切な証拠になることを思い出し、記録することはいじめ被害児童の何らかのちからになるはずであると考え、

教師や周りの児童が見て見ぬ振りをするのであれば、代わりに 長女が

学校で見聞きしたいじめの状況を帰宅後ノートに書き記し 毎日記録することにしました。

 

また、いじめが起きそうなタイミングで 被害児童を図書館に一緒にいこうと誘い出したり、

落ち込んだ様子のときには気にかけていることが伝わるよう 声かけをしたり、

私はあなたを見ているし、心配している、ということを被害児童に長女が伝え続けることにしました。

 

長女は真摯に私の助言を受け止め、毎日学校で実行してくれていました。

 

次第に私は不信に思うようになります。

「どうして被害児童の親はいじめに気づかないのか。」

 

その理由を私は後から知りました。

長女が通っていた学校では児童に対し、

「学校であった嫌なこと、辛かったことはお家の人には決して話さないように。それは学校の先生への悪口になり、一生懸命がんばってくださっている先生方に大変失礼です。」との指導が重ね重ねなされていたそうです。

思い返してみると、私自身、保護者会で学校側から「こどもたちにとっては、とてもストレスになるので、お家では学校での出来事をお子様に聞かないようにしてください。」と言われていました。

囚人のジレンマではないですが、

学校に不都合な情報交換が親子間ですらなされないような情報統制が意図的に構造的に学校側により為されていたのでした。

 

ようやく被害児童の親が我が子の様子がおかしいことに気づき、やっと、いじめアンケートが行われ、長女とほか数名の児童がクラスにおける加害児童が行なっていた いじめ行為を証言し、

当該被害児童に対するいじめがクラスであったことが認定されました。

長女のがんばりがようやく報われたように思われて、親子で喜ぶことができそうな気がしていました。

 

だかしかし、です。

数日後にはターゲットを変えて、再び主犯格児童によるいじめがクラス内で始まりました。

学校側は再び、【見て見ぬ振り】です。

そして、長女の学校では、これが繰り返されていました。

だめだこりゃ。と心底思いました。

長女はというと、連日クラスにおいて 被害児童に対し繰り返されるいじめを目の当たりにし、

また教師児童の悪質な不作為に触れ、

ストレスで心身共にぼろぼろになるまで頑張っていました。

今度はあの子を助けなくては!という

長女の想いと正義感をいつまで尊重し続けていいものか 散々悩みましたが、

学校の腐敗したシステムが変わらない限り、長女の想いや正義感が挫かれ続けると判断しました。

一刻も早く長女をこの学校から遠ざけなくてはと強く感じ、

心身ともに限界に達していた長女も学校から離れることを望んだため、すぐさま実行しました。

 

いま新しい学校で水を得た魚のように生き生きと楽しく過ごし、前の学校に通っていたときには見せたことのない朗らかな表情で目を輝かせて帰宅する長女の姿を毎日見るたびに、

惰性でそこに居続けて状況が変わるのを待つのではなく、すこしでも明るい方に向かって舵きりをして突き進む選択をしたことを、

ほんとうに良かった☺︎と感じています。

 

 

今回の経験で、私自身 再確認したことがあります。

 

いじめ加害者がいまそこにいることが問題ではありません。

いじめが起きるシステム、いじめを助長させるシステム、いじめを隠蔽するシステム。

長女が通っていた学校が構築しているシステムそのものが腐敗していることが問題であると、私は考えています。

 

身の回り すぐそばに どこにでも、

いますぐにでも解体して再構築すべき悪しきシステム、腐敗した構造があるということを 私は強く感じます。

そして、そんなときこそ法律家のちからが発揮されるときではないか、とも思うのです。

事実を集めて精査し、趣旨に基づいて必要事項を論理的に組み立て あらたな善きシステムを構築する。

この一連の思考過程、作業行程はまさに法律家が得意とするところであるように思います。

 

一か月とすこしの間、時間的にも精神的にもゆとりがなく まったく法律の勉強が手付かずで過ごしてきましたが、

一方で自分が法曹になったときに全力で取り組みたいことが明らかになった時間でもありました。

 

何も咲かない寒い日は

下へ下へと根を伸ばせ

やがて大きな花が咲く

 

 

これは高橋尚子さんの座右の銘ですが、

今回の経験は自分の根を下に伸ばす時間であったように感じています。

 

さて。長女の新生活も軌道に乗りはじめたことですし、そろそろ自分のことにもしっかり想いと力を込めて 取り組んでいかねば!です。

 

はて?どこまで重問のテキストを進めていたかしら… がんばらないと…。

 

 

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