まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

肩書きがほしい。

 

「肩書き」がほしいなぁ、と思ったのは

これまで生きてきてはじめてのような気がします。

「肩書き」がほしい、と強く思いました。

いまの自分に合った肩書きが。

 

自己紹介をします。私は主婦です。いちにちの大半の時間は家事育児をしています。⬅︎

その合間に、主に自宅でできる仕事を引き受けて行っています。

そしてなにより…司法試験受験生です。

 

家族以外の いまの私の周りにいる方々は、

上記の2行目(⬅︎印)までしか、私のことを知りません。私が話していないのですから当然のことです。

わが身に起きる出来事は自分の選択の結果ですから、どんなことも ちゃんと受け止めていくつもりでいるのですが、

このごろ 「実際の自分」と 「周りの方々が認識してくださっている私」との齟齬に なかなかの辛さを感じる場面に多く直面いたしまして…

ぴぃ⤵︎と気持ちが滅入っておりました🐤

 

私は昔から じっと腰を据えて悩むことができず、

とにかく 悩みだすと 手当たり次第 動いてしまう習性があるようで、ここ数日の間の出来事なのに どこがどうなったのか もう忘れてしまいましたが、いま手元に近くのロースクールの願書があります。

ロースクール全体が どこも数年前に自分が在籍していた頃とは随分と変わっていて なんだか羨ましいなぁ、と思いました。

いまならロースクール生活もうまく乗り切れる気がする!笑 なんて思いながら、パンフレットを眺めておりました。

 

結論を申しますと、

少なくとも現時点では ロースクールへの出願はやはり考えられませんし、予備試験ルートで行こう!と決意新たにしております。

ですがどうして、ロースクールという選択肢がふいに浮かび上がってきたかといいますと、

「肩書き」が欲しかったのだと思います。

 

「私はロースクールに通っています。」

この一言、この「ロースクール生」という肩書きだけで、

いまの自分が直面している いろいろな不具合やめんどうな事あれこれが、ふいっと消え去るのではないかと考えたのでしょう。

たしかにそうかもしれません。どんな方に対してでも瞬時にある程度の自分像を伝えることが叶うのが「肩書き」です。

 

けれども。

手元に届いた分厚いロースクールの資料を机の引き出しにしまいながら、思いました。

それも含めて 乗り越えてみよう、と。

 

ロースクールを卒業して、一切法律と関わらない方向に舵きりしてからもずっと。10年変わらず心の支えは いつも同じところにありました。

法曹になるという目標を足元に置き去りにしてからも、経験したありとあらゆる種類の「辛いこと」「苦しいこと」に直面するたびに、

心のなかで唱えていたのは

「この経験がいつか誰かのために役立つ。」という願いに似た切実な想いでした。

 

自分がどうしようもなく悲しかったり、

崖っぷちまで追いつめられるほどの辛さを感じたりするたびに、「よしよし。これでまたひとつ 良い法曹に近づけるぞ。」と どんな経験でも前向きに受け入れることを助けてくれました。

 

「肩書き」は外部からくる不要な刺激から 自分を守ってくれる膜のようなものです。

無いよりあったほうが良いですし、

その内容が 自分の現状に近いものであればなおよろしです。

いまの自分はそのような膜もなく 擦りむいたまんま 立ち尽くしていますが、

ぐっとお腹に力を込めて一歩、一歩、乗り越えてみようと思います。

この自分のささやかな辛い経験もまたいつか…誰かの何かのお役に立つ と信じて。

 

 

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