まえをむいて。

7年前にロースクール卒業。司法試験受験回数0回。いまから、ここから、はじめます。まえをむいて。

とりあえず。ではなく、できるだけ確実に。

とりあえず。できるとこまで勉強を進めて、例え間に合わなかったとしても 課題をみつけるためにも 受験日までのモチベーションを高める効果を得るためにも 資格試験を受験してみる、
ということが なぜか できない自分がいる。昔はできたのに。
大学生だったかしら。ぜーんぜん、勉強に真面目に取り組めてもいないのに、「とりあえず」資格試験に出願してみたりして。そしたら 試験日に向けてやる気もでてくるかと思っていたのに、結局自分のやる気スイッチを探してるうちに本番がきて、試験中 わからなさすぎて 退屈すぎて試験時間いっぱいまで座って待っていることすらできなくて、退出が許されている最短の時間で さっさと問題用紙一式置いてきて とんずらした経験がある。情けなかったなー。自分が。大学受験にはあんなに全力で向かっていけてたのに、それ以降、てんでダメ子になっちゃってたなぁ。いろいろと見失っていた時期でもあったのだけども。
それからかなぁ… 試験に全力で真剣に時間と心を捧げて取り組んでいる方々と一緒に受験する上で 自分の試験への姿勢に その方々に対して失礼がないようにしなくては!との想いが芽生えて、自分を律すると同時に きつく締め付けてしまうようになってしまったのは。

ロースクールでも、先生や先輩によく言われていたなぁ。どんなに自信がなくても 受け控をしたらダメだ!合格が遠のくぞ!って。

でもなぁ…自分の学力や心情や性格ってやはり自分が一番よくわかっているわけで、がむしゃらに どわぁー!っと勉強して 最低点でもとにかく受かればいいから!えいやっ!と 試験に臨んで行けるひともいるのだろうけど(大学受験を終えるまでは 私自身この思考で突っ走って来たのだけれど)、
それ以降の私のように ある程度 自分のなかで 自身の勉強内容や学力に ちゃんとした達成感と安心感を持てた段階に到達したうえで、いける!という自信が持てていないと、本番 落ち着いて試験に臨んでいけない心の持ち主もいるのではないかしら、と 思うのだなぁ。

そんなわけで。行政書士を今年受けるかどうか悩んでいる。たぶん来年は確実に受験すると思う。
この夏休み期間に確保できた勉強量から考えると、今年は見送ろう、と おそらくいまの自分なら判断するのだろうな。
来春からは 次女も幼稚園に通いだし、確実に勉強時間を確保できるようにはなるはずなので、並行して予備試験の勉強も進めていけたらいいな。

夏休み

夏休み。
この、今年の夏休みはこどもたちにとって一度きり!
それに、こうして わたしが家にいて こどもたちと
ずっと一緒に過ごすことのできる夏休みがいつまで続くのかもわからないから、今 与えられている いちにち、いちにちを こどもたちにとって 実りある日にしよう!と 全力で向き合っていたら、
あれ…自分の勉強をする時間がまったく作れていない。
この夏休みは、もうすこし、自分の勉強時間を確保できると予想していたのになぁ…うーん。

昨日と今日は、仕事が急になくなって少し自由な時間が生まれたので、僅かな時間ながら勉強。やっぱり勉強は楽しいな。思いっきり勉強したい。そしてぐっすり寝たい…(´-`).。oO

夜、家族が寝静まったあと ひとりで夜空をみながら ぼんやり考えていた。
自分のこれまでを振り返っていたら、涙がでてきた。なんだろうなぁ。悔しい、虚しい、とか、焦りとか 諦めとか…ロースクール卒業して すぐに家庭に入ってからの数年間、自分が抱え向き合わざるを得なくなり、戦い乗り越えてきた(というか 折り合いをつけてきた)感情とはちがう、なんともいえない気持ちが身体中にひろがってく感じだった。これは、この感情は 後悔…なのかしら。
これまでの人生、いつも何事にも後悔がないように、と全力で臨んできた。ひとつひとつの選択にも きちんと納得して 進んできた…つもりだったのだけどな。
いまの自分が置かれている状況にも 不満はない。というか、仕方がない と心の底から納得している、できている…つもりなのだけどな。
自分の真意は別のところにしまってあったものが、ひょっこり いまごろ 顔を出してしまったのかなぁ。弱ったなぁ。

選ばなかった方の自分の人生を 具体的に想像してしまうことが このごろ増えている気がする。

ロースクール時代、とても苦労をされ努力なさってご自身の夢に向かって邁進している方が、父を亡くして憔悴している私に「なんでも辛いことがあったら 話してみ」と言ってくださったので、正直にそのとき感じていた自分の辛い気持ちを打ち明けてみたら、
その方の顔がみるみる険しくなり「自分は ほんま ないものねだりやな!」と怒られて、びっくりした。笑

若かりし頃の私は、時間が経つにつれ だんだんと「自分から相手の弱音や愚痴を聞き出しておいて、急に怒るってなんでやねん!」とその方に対する怒りが増してきて、
その出来事以降 心のシャッターを その方に対しては閉店がらがら してしまったのだけど。

自分の選択とは一切関わりのないところで重たい問題を突きつけられてきた その方の人生からすると、私の状況は たとえ大切なひとを予期せず早く失ってしまう経験をしたとしても 「ないものねだり」に感じられたのだろうな、と いまの私は思ったりもする。まぁでも、やっぱり あの言い方はないとおもうけど。笑

いまは弁護士として活躍しているその方に、いまの自分の状況、心情を話したら、間違いなくまた言われるだろうな…

「ほんま、自分は ないものねだりやな。」

ほんと、おっしゃるとおり。

でも。
「手に入れること」ではなく 「手に入れる努力をすること」自体を 私はやっぱり諦めたくはないから。
いまの自分に「ないもの」をねだる気持ちを持ち続けて 必死に手を伸ばして努力をして、いつかちゃんと手に入れて…
ないものねだりから 本当の意味で 抜け出したいと 強く想う自分がいる。

がんばらなくちゃな。

使命感。

手塚治虫記念館に行ってきた。
医師であり、漫画家でもある手塚治虫さん。
その生い立ち、考え、人生の選択の根拠がとても興味深く 夢中になって展示や作品を見た。それでは足りずミュージアムショップで 手塚治虫さんの「ぼくのマンガ人生」という本を買い 1日で読み終える。

人生をかけた努力には、
地位、名誉、お金を求めることに力を尽くす方向と、
自分を何かに役立てようという使命感に従いことを成すため力を尽くす方向と、大きくふたつに分かれるのだな、とやはり感じた。
両方が両立する場合も もしかしたらあるのかもしれないけれど、それはあとから振り返ってみたときに
あ、両立したね、ラッキーだったね。というのであって、当人にとっては 必ずどこかのタイミングで、自分はどちらに向けて人生をかけた努力をするのかを選択というか 覚悟を決めることが 求められるものなのだと思う。

わたしは後者でありたいし、こどもたちも そうあってほしい。
自分の持つものを なにか だれか のために役立てようと明るい使命感をもって為したことは、必ず同じ想いをもつひとが志を受け継いでくれるものだし、その仕事は遥かな時間をこえて輝きをもって存在し続け だれかの光となるものだから。自分が生きた証をそのような形で残せたら…かっこいいなぁ。

それに 地位、名誉、お金って 当人が死んだら そこですべてが終わってしまうわけで…
この類は 次世代に受け継がせて…なんて思ってみても 常にあっけなく一瞬で消え去る恐れを内包しているものだから なんだか虚しい。

使命感をもち、自分の仕事を全うし、質素で心身ともに満たされた生活ができたら しあわせだなぁ。

さー。勉強しよう。




《HIGHER THAN YESTERDAY》
展示されていた、手塚治虫さんが使っていらっしゃった定規に書いてあった言葉を こころに刻む。

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ルーティン化する

毎日、家族の状況に合わせて 勉強時間や勉強内容を
変えてきたけれど、「いつか」のためにしてきた法律の勉強が だんだんと自分の意識がかわってきたことで「来たるその時」のための試験勉強になってきて、今日は勉強できなかったけれど まぁ気楽にやりましょう…という感じでもなくなってきた。
限られた1日の時間のなかで、すこしでも無駄な時間や労力を減らしていきたいなぁと考えている。
いま、試しているのが「ルーティン化」。家族の状況、自分の心情、とは遠いところに 「1日に絶対こなす勉強リスト」を置いてみて 毎日とにかく実行してみることにした。今日は何を勉強しようか、どのタイミングで机に向かおうか、と頭を使う労力や心の負担が軽減して けっこう快適。続けてみようと思う。


昨日はマンションが工事で1日断水。お風呂に水を溜め、飲料水も買って、断水前に洗濯もして、万全にして備えていたのに、実際 なんの不自由もなかったのに、なんだか自由に動けなかった。
下手に活発に動くと なにか想定外の「困ったこと」が起きないか、が不安で 本来ならできるはずのことすら まったくできなかった。

まだ見ぬ未来に対して、起きるかどうかもわからない「なにか困ったこと」に対して、自分が勝手に不安を作り出して 今の自分を縛り付けるって ほんとうにもったいないし やだな…と思った。いまに集中!


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テレビで真矢みきさんが、松居一代さんの天性の粘り強さや執念を夫に対してではなく、ヒアリに向けたら…とおっしゃっていた。笑
才能、努力を注ぎ込む方向を見誤らないことは、思っている以上にとても大事。

体調を整える

ここ数日、気持ちに体力がついていかない。これまでどおりの暮らしをしていても、眠たい…からだがだるい…思い通りにならないなぁ。もどかしい。
私とは対照的に体力がついてきたからか次女は昼間のお昼寝をしなくなり、これまでどおりの勉強時間の確保もむずかしくなってきた。
夜早く寝て、朝4時頃起きて勉強するか、夜子どもたちが寝たあと勉強するか…健康に持続できる方法を探している途中。あとすこしで子どもたちが夏休みなので、そのタイミングでうまく切り替えてよい勉強習慣を作れたらいいなぁと思う。

民法会社法のロープラクティスをすきま時間に読む。ほんとうは机に向かって書いたりしながら進めたいのだけれど、現状ではこうするしか…仕方ない。
頭のなかで問題の答案構成をして、解説を読んで確認する進め方。これでも進めていけるなら良しとして。
それにしても昔に比べて良い問題集がたくさん出ているなぁ…新司法試験対策に公務員試験の参考書つかったり、司法書士の参考書つかったりしていた頃が懐かしい。
さて、できるかぎり前に進もう。

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道しるべ

会いたいなぁ、いつか会えるかな…と思っていたひとと、今朝偶然会えた。このごろの自分は、ちいさな迷いやそれを解決するための選択を重ねていた時期にあって、これでよかったのかな、いやこれで行くしかない!みたいな想いのあいだを行ったり来たりしていた。けれど、今朝ずっと会いたいなぁと想っていたひとに、今のこのタイミングで偶然会うことができたことで、「それでいいですよ。そのまま真っ直ぐすすみなさい。」と天が自分に言ってくれている気がして、心が晴れやかになって、ちいさくスキップした。

自分の望む場所にたどり着くためには、たくさんの努力とちいさな選択を日々積み重ね続けていかなければならない。その道中でたびたび現れる、自分の努力や選択の方向が正しいのかどうか判断する「道しるべ」の存在を自分はずっと信じてきた。それは「どんなひとに出会えるか」ということ。中学生の頃からずっと、そのような観点から自分の歩みを見つめてきた。

辛い、苦しい、でも前向きになる、がんばる、乗り越える…ということを経た先に、必ず天から与えてもらったとしか思えない素晴らしい出会いがぽんと用意されている体験は、常に自分の心のなかにある光となってくれた。もう立ち上がれないくらいの状況である自分でさえも、乗り越えた先にきっと待っているであろう 会いたいひととの出会いを想うことで、立ち上がらせてくれる気力を与えてくれていた。

なんだかとりとめのない文章になってしまった。
自分はひととの出会いを「道しるべ」に、会いたいひとと会えると信じる想いを気力にかえて、前に前に進んでいきたい、と改めて思った、ということ…

がんばろう。

目に見える形で

ロースクール在籍中に、
「司法試験に受からなければ、ただのひと」という言葉をよく耳にした。
司法試験に受からなければ、たとえ法務博士を取得したとしてもなんの意味もなく役に立たない…ということらしかった。世の中のことを、よく知らなかったし知ろうともしていなかった当時の自分は、「へえ。そうゆうものなのか。」と疑いなくそのまま受け止めていた。
だから、自分が数年前に 今は新司法試験を受けない、という選択をしたときには、胸を張って言える自分の学歴は大学を卒業したところまでで、法務博士であることはどちらかというと隠すべきこと、となんとなく思い込んでいた。

しかし、実際に職に就くために履歴書を書いたりして 法務博士を取得したことを明示しなければならない場面になってみると、ちょっと誇らしい気持ちが自分のなかにあることに気づいた。なんだろう…この気持ち。
また、これまで採用していただいたどの職についても、この「法務博士」という学歴は自分にとって間違いなくプラスに働いてくれたように感じている。
たぶん…それは自分がロースクールで積み重ねた「努力」を法務博士という形で可視化してもらったからだと思う。ありがたかった。誇らしかった。

「努力は必ず報われる」という言葉がある。
これって、「努力は必ず(自分が望んだ形で)報われる」という意味なんだと信じていた時期があったけれど、それはちょっと間違っていて、
真の意味は「努力は(自分が思い描いていたとおりの形ではないかもしれないけれど、何かしらの形でいつか)必ず報われる」なのではないか、といまは考えている。
どう報われるかはよくわかんないけれど、とりあえず今、できるだけの「努力」をしてみよう!と前向きになれるので この解釈をわたしは気に入っている。


長女が七夕のお願いごとに「弁護士になりたい」と書いた。去年まで毎年「プリンセスになりたい」だったのに。
言葉にしなくても、自分の生き方や日々の姿勢でわが子に伝わるもの、伝えられることがあるのだ、ということを感じ身が引き締まる思い。娘よ。私は背中で語れる母になれていますか。もっと…がんばらなくては。


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