まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。司法試験受験回数0回。いまから、ここから、はじめます。まえをむいて。

対岸を走る

家の近くの川に橋がかかった。
数年前、工事が始まったころ、橋の完成予定日が書いてある看板をぼんやり眺めながら、
たぶん確実に来るのだろうけれど 手が届かないくらいには遠い 「その日」に想いを馳せてみた。
でも、近そうで遠い その距離を前に なぜだか心がさわさわしてすぐに思考を止めた。






自分は 本当に そこに辿り着けるのだろうか。


不安とか、辛いとか…そういうのではなくて
「いま」の自分を急き立てる何か に
緩く押し潰される鈍痛を 結局ずっと感じてきた。

しばらく自分の気がすむまで、
法律から離れて生きていくことを決めたときから、
わたしは
対岸に自力で橋を架け「あちら側」に渡っていくたくさんの友達を、
「こちら側」から 手を振って見送ってきた。


そして、その度に 自分に言い聞かせてきた。
自分は「こちら側」で全力で 死に物狂いで走り続けよう、と。
走っている場所は 対岸で それはやっぱり
全然違う世界なのかもしれないけれど、
もしかしたら、いや…きっと
橋が架かって渡ることができた暁には
同じ場所、近い場所で
合流できるのかもしれない、と。そんなふうに。


いつか…そのときが来て
自分が 自力で橋をかけ
ちゃんと対岸に渡ることができたときに、
あのとき 手を振って見送った
いまはずっと対岸を懸命に走っている
あのひとたちのそばを
自分が走っていられたらいいな…
そんなことを願ってきた。



まだまだ先だと思っていたけれど、
気づけば わたしは家の近くにかかった
新しいその橋を毎日渡っている。




私は ちゃんと自力で橋を架け 対岸に渡っていくことができるのだろうか。
あのひとたちのそばに もう一度 行けるのだろうか。

仕事に向かう道中 橋を渡りながら、ふと…
やるしかないな、と思った。



いま、アガルート民法 進捗具合は 半分くらい。
本当にわかりやすくて 良い内容だと毎回感動しながら進めている。
いろいろ 予備校を経験してきたけれど、アガルートが一番自分には合っているみたいだ。

晴天を誉めるなら…

「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」
という曲を このごろ良く聴いている。
聴いているとお腹の底にちからが ぐっと 入る感じがするから、
気乗りしない仕事に向かう朝や、気合いを入れたいときに 自然と聴くようになった。

そうなるきっかけは、
ずっと気にはなっていたタイトルの意味を
ようやく調べてみたからだった。

この曲の「晴天を誉めるなら夕暮れを待て」は、
古くから存在する格言である
「晴天を誉めるには日没を待て
(人は死ぬときにならなければ、幸福であったかどうかは判定できないという意味、とのこと。)」に由来しているのだそうだ。


ほほぅ!と 深く頷きながら、
それを知ったうえで 改めて曲を聴いてみたら
ちょっと 泣けてきてしまった。


「今」良い状況にあるひとには、
ここで満足して努力をやめてしまうのではなく、
しっかり気を引き締めて 着実に歩んで行きなさいよ、と助言し、

「今」苦しい状況にあるひとには、
大丈夫。なにもこれで すべてが決まったわけではない。またまだ明るい方へ進んでいけますよ、
と励ます。


そんな優しく強い想いが歌詞につまっていることを感じて、心がふるえるのだ。


「今」がどんな状況であったとしても
ここで、自分のこれからを決めつけてしまってはいけない。
まだまだ、ぜんぜん、まったく、どうなるかなんて
わからないのだから。

未来を決めつけず、過去に囚われず、今に集中。

ちょっとずつ、を積み重ねていく。

アガルートの受講を始めた。

気に入った お洋服をどんどん買って、増えていって。
部屋のあちこちに 新しいお洋服が置いてある状態で。
一度は納得して きちんと手に入れたものなのに、
すこし時間が経つと、あれ?家にあるはずのあのお洋服どこだっけ?みたいな感じだった。

これは、わが家のクローゼットではなく、私の頭の中のこと。そう。お洋服は、法律の勉強をして得た知識のこと。
基本書をよんだり、問題演習をしたりして、
理解して、納得して、知識として確かに頭に入ったものたちが、
どうにもこうにも時間が経つと みつからない。
必要なときに取り出したいのに…どこいったん?
もやっと、ぼやっと頭の中で漂っている感覚。

どうにかしたいなー。もやもやするなー。
こんなんを繰り返していて大丈夫かなー。
という、気持ちの落ち込みに
いまようやく、光が射したように感じている。


アガルートの受講をしていると、
あるにはあるけど散らかっていて行方不明な知識たちを、ひとつ ひとつ 丁寧に畳んで 整理して
タグ付けしてから タンスにしまっていく作業をしているような感覚があって、とてもスッキリする。
あたまのなかも、こころのなかも。


どんどん、ぐんぐん 聴き進めたいのだけれど
そうもいかない状況に変わりはなく…
それでも、10分くらいに区切られたチャプターを
ちょこちょこと聴き進め 積み重ねていくことも
楽しくて、
良い教材に恵まれた 良い時代に生まれたなぁと
ありがたくなる。

とりあえず、まずは一周聴き終わることが目標。

アガルートを軸に進める。

次女の幼稚園が決まり、
いよいよ来年の春から家族に負担をかけることなく
自分の意思で自由に使うことのできる時間が、
いちにち数時間 確保できることになる。

次女が小学校に入学するタイミングで
司法修習にいくことができるように、と考えてきたけれど、小学生になったら はい!さいならー♫ と
一気に手が離れ こどもが母親をあまり必要としなくなるわけではないのだな、と
小学校一年生になった長女の様子をみていて強く感じる。

幼稚園とは違い、小学校でのルールの多い生活に心がついていかないことがあったり、
体力面でも まだまだじゅうぶんではなく 体調をくずしてしまうことがあったり、
よく知らないお友達の言葉や態度にちいさな心をひりひり痛めてしまうこともあったり。

「きょうは学校に行きたくないな…」とぽろりとこぼれる我が子の想いに 丁寧にあたたかく 時間を惜しまず寄り添いたいなぁと思う。
「よし♫ きょうもいちにちたのしんでくる!」と 前向きな気持ちで学校に向かうことができる日まで。そこまで、心も身体も育つまでは、ちゃんと。

家族に、こどもたちに負担をかけずに、フルタイムで働くって、ほんとうに…なかなか、なっかなか難しいことだなぁと切に感じる。
いまの週に数日の出勤でも いっぱいいっぱいなのに。

毎朝、次女を抱きかかえ 長女を学校の近くまで送りとどけた帰りの駅のホーム。
会社に学校に向かう方々が作り出す 力強い早歩きの流れに取り残され、せめて邪魔にならないように…と端っこをちいさくなって歩く。
「私も…いつか このなかに 入れる日がくるのだろうか。」と ぼんやり考える。

いろいろと乗り越えなきゃいけないことがあるけれど、
いろいろと思ってたんとちがうこともあるけれど、
自分には到達したい場所が明確にあるのだから
そこに向かって進みつづけるしかない。

ということで、一昨日 アガルートの受講を決めた。
自分にかける学費があるなら、
その分のお金はこどもたちのために使いたい、との思いが強くあり、これまで一冊の参考書を買うのにも数ヶ月悩みつづけるような状態だったのだから、
自分にしては大きな決断だった。

受かりたい。 かならず。



今後しばらくは、アガルートの各科目の受講を軸に学習を進めていく。

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早速届いた。わくわくする。

いろいろと調整中

家族を持つ、という選択をし覚悟を決めたときから、「仕事」と「家事・育児」を両天秤にかけ その結果 でてきた 「仕事」:「家事・育児」=0 :100 の結論に基づいて 自分の時間と心を注いできたのだけれど、
2、3年前ごろからは そんな単純な括りではなくなってきた。
「自分が仕事をすることにより得られるプラス面」と「自分が仕事をすることにより家族、特にこどもの心身に与えるマイナス面」とを両天秤にかけて、プラス面が8割を占めるあたりのところをキープするイメージで いろいろな選択をして決めて進めることが いまの自分にとっても、家族にとっても、最善に思えるように 考えが変わってきたのだった。

思い立ったが吉日。まだ長くは歩けない長女をベビーカーに乗せ、ちいさな赤ん坊であった次女を抱っこ紐で抱き、電車とバスではるばる ハローワークに行った。
当時の自分が希望する勤務形態の職場は、ハローワークからしか求人を受け付けていなかったから、仕方がなかった。
ハローワークの警備員さんに 案内していただきながら、建物の奥に進んだ。子連れ狼(しとしとぴっちゃん)状態の自分を 職員を含めその場に居合わせた方々が 思い思いのストーリーをたぶん私に重ねて想像し じっと見ていらっしゃった。あ、場違いとは 今まさに自分が引き起こしている、このことか!…との考えがふわっと頭に浮かんだ。どんなことでも 度が過ぎてしまうと、自分のことが面白おかしく思えてくる。が、やっぱりちょっと 辛かったかもしれない。忘れちゃったな。

そんな思いをして やっと履歴書を送るとこまで辿りついたのに、数日後 希望する職場の担当者さんからいただいた電話であっさり 仕事に就く、という希望が断たれてしまう。
「希望の勤務日は土曜日ということですが、研修が一ヶ月間 平日にありますが、参加は可能でしょうか。」
なんだよそれー。無理じゃーん。笑

あーやっぱり、働き出すのは今の自分にはまだ早いか…と心がしぼしぼになっていたときに、なんとなく探していたら なんとなく気になった職場にあっさり希望の勤務形態で採用されることとなり、今に至っている。
自分の子は 自分の家族の手で育てたい、という考えを どうしても譲ることができない…心配性で完璧主義で柔軟性のない考えだな、と我ながら思うし変えていくべきなのかしら、と度々悩んだりもするのだけれど、いまは まだ心が許可を出してくれない感じである。
だから、いまは自分の仕事は、夫か母にこどもたちを任せられる時にしか入れないことにしている。
また並行して、在宅でできる仕事も開拓してみたりして。不定期に仕事をいただいている。

それでも…最近急に 長女が「お母さん、お仕事にいかないで。お仕事やめてほしい。さみしい。」と訴えるようになった。長女と何度も話し合って、どうしてだろう…と考えてみたけれど、家から出かけて職場に向かう形態の仕事を減らす以外の解決策が見つからなかった。
いまは、外に出る仕事を減らしながら様子をみている最中だけれど、仕事をすることで自分にひいては家族にもたらすプラス面を維持したい思いもあるので、できるなら在宅でできる仕事に少しずつシフトしていけるよう 本気で調整をはじめているところだ。
資格試験の勉強も 来春からはだんだんと比重を増やしていきたかったので、働きに「出る」仕事を減らし 在宅を増やしていけたら、なんやかんや都合が良いのではないか、と 急に起きたこの事態を 前向きに受け止めている。

それにしても履歴書だしたのに ぜんぜん連絡こないのは、どういう意思表示なのかしら。動くに動けない…

経験

「経験、体験に基づく」知識、発言、考え、判断…
ということを 身につけさせたいとの信念がある。
わが子に対しても、自分に対しても。

この夏休みは、あちこちの工場見学にいき、さまざまな職業体験をして、行ける限りの博物館や資料館に行き、たくさん泳ぎ、川で魚のつかみ取りもした。
実物に触れ、感じ、それから 関連する絵本や図鑑を図書館から借りてきて 読んで 理解を深める。
こどもたちについては、それを、きちんと継続できた夏休みだった。よくがんばった。よい夏休みだった。あとすこしだけ残っているけど。



ロースクール時代、弁護士事務所にエクスターンシップで数週間お世話になり、片時も離れず弁護士の仕事を見せていただいたとき、心底 感じたことがあった。

それは、「いまの自分では、この職業に就いても、
決して 自分が納得のいく 良い仕事はできないな。」ということだった。
自分の法曹への想いを、捨てるでもなく、絶つでもなく「冷凍保存」したのは、たぶん このときだと思う。
いますぐには、法曹にはなりたくない。でも、いつか機が熟したときに、なりたい!と思ったらなら、なろう。たぶん、そのときがきたら自分でも わかるはずだから。そのときまでは、人生で 自然に自分が望む経験を できるかぎり全力でしよう…というようなことを心に決めた気がする。


エクスターンでお世話になっている弁護士の先生が、破産の法律相談を受けたとき、
先生のとなりに座っている私を司法修習生か新人弁護士かと勘違いなさった依頼人の方が、情けない…情けない…と涙を浮かべ嘆きながら
「お願いします。どうか助けてください。」と目の前にいらっしゃり深々と頭をお下げになった。

また、
刑事事件の被告人となった方に その家族からの手紙のファックスを弁護士が見せて、それをじっと見つめる被告人の眼差しが 目を逸らしたいくらいに 辛く重く自分にのしかかった。

ほかにも、たくさんの場面で、当時のわたしは思い知ってしまったのだった。

自分には この 目の前の依頼人の方々の心情に、
想像力だけを頼りに、自分の心を同化させる方法でしか近づけない、ということを。
依頼人の状況を 自分の未熟な精神では 到底受け止めきれない、というこを。
そして、たぶんいまの自分で この職業に就いたら、心身ともに疲弊して 数年で自分が潰れるだろう、ということも。


あれから、数年。ひとつ、ひとつ、新しい経験をする度に、頭のどこかで 自分に問い、確認をする作業を無意識に続けてきたように思う。
「いまの自分なら、あの時の依頼人の方々に対して、どう向き合えるだろう。」

いつかはっきりはわからないが、そう遠くはない将来、自分にとっても 依頼人にとっても 「良い」「納得のいく仕事」のできる法曹になれたらいいな、と思う。

そのためには、全力で目の前のことを「経験」していきたい。

基礎

京都に行ってきた。学生時代の大部分を過ごした場所。いまもなお 自分の人生の軸となっている場所。
訪れるたびに、「いま」の自分を「過去」の自分が前に 強く…突き動かしてくれるちからをくれる。
そのとき、そのとき、自分が置かれた場所において 出来うる限りの 想いを伴う行動を、努力を、為尽くすことの価値を強く感じる。それは時間にも運命にも負けない強さをずっと保ち続けるものだから。永きに渡り 思いがけず 自身を支えてくれるのだ。
帰り道、車窓の奥に広がる空を眺めながら 京都で受け取った想いを 自分自分の心に いまいちど 深く刻む。

いま、出来うる限りのことを全力で。
こどもたちにも きちんと伝えていきたい大切なこと。

夏休み期間は、どうやら机に向かう時間が持てないようなので 読みもの として、司法書士行政書士の参考書を読んでみたりしている。自分の基礎知識をもういちど丁寧に積み直していけるような気がしている。
自分が思う「基礎」を あらためて見直す良い機会になった。


こどもたちが食べ切れなかったアイスクリームを
もったいないので、ふたり分 無理して食べたら
お腹が痛くなって しばらく苦しむ。つらかったー。