まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。司法試験受験回数0回。いまから、ここから、はじめます。まえをむいて。

10年前の宝物。

今日は仕事がない土曜日だった。
めったにないことなので、はりきって大掃除をした。
アガルートの教材が増えるにつれ ところてん式に
整理し処分するようにしているロースクール時代の書類から、もうなくなったと諦めていたものがでてきた。

ロースクール時代
エクスターンシップに関する報告会で 自分が行った
スピーチ用の原稿がひょっこりでてきたのだ。

これからエクスターンに行く多くの生徒の前で、
先人として自身のエクスターンでの経験などを報告する代表者として学校から指名されたため、
懸命に作成し、すこし緊張しながら壇上で読み上げた思い出深い文章であった。


以下がそれである。


***

この春、私は学校をやめることを考えていました。
法曹になりたいと、まったく思えなくなったからです。

私は、「日本の刑事司法を支える一員になりたい」という、強い想いを胸に、この学校に入学しました。
でも、
今の自分に どう役立つのかわからないのに、
負担だけが大きい課題がたくさん出され、
勉強している、というよりも、
無理やり勉強させられているような感覚で、
考える事をやめ、意思を殺して、ただ淡々と課題をこなし、毎日をやりぬく、
そんな生活に、疑問と苛立ちが積もっていきました。

そのような学校生活を続けているうちに2年の月日がたち、
入学時に私の心いっぱいに膨らんでいた法曹への強い想いは、すっかりしぼんで見えなくなってしまいました。

なぜ法曹になりたいのか、なぜ自分は今このような生活をしているのか、自分でもわからなくなりました。
今の自分は、法曹への夢を追っているのではなく、
法曹への夢にしがみついているだけではないのか。
学校生活を続けていくこと自体、法曹を目指していること自体に、大きな疑問を抱くようになりました。

でも、エクスターンを終えた私は、
自分が法曹への道を選び、そこに立っていることに、おおきな喜びと誇りを感じるようになりました。
それは、エクスターンでの体験や、エクスターンでお世話になったN弁護士との出会いがあったからに他なりません。

派遣先の弁護士である、N先生は奥さんとご夫婦で法律事務所をなさっていて、
弁護士になる前は検事でいらっしゃり、
弁護士になってからは多くの刑事弁護を手がけていらっしゃいました。

私は、先生が弁護士会の会議に出席された1日を除いて、常に先生と行動を共にさせていただきました。
先生とは、京都地方裁判所、無料法律相談のため京都弁護士会館、大阪高等裁判所簡易裁判所、警察署に行きました。
事務所では、先生の横に座って依頼者の相談に同席させていただき、お話を一緒に伺いました。


≪一部 事案の具体的な記載を含むため省略≫


被疑者との接見のあと、事務所に帰ってから
N先生はA4サイズのぼろぼろの茶封筒を私のところに持ってこられました。
茶封筒の裏側、一面にびっしりと日付が鉛筆で書かれていました。
それは、N先生がその被疑者と接見した日付を書き留めたものでした。
先生は言いました。
「被疑者は、検事・警察官と毎日顔を会わせます。そんなふうに毎日会うから、被疑者は検事・警察官に対して、この人になら話をしてみてもいいかなぁ。と次第に思うようになります。
それに負けないくらいの信頼関係を被疑者や被告人と築くためには、弁護士は毎日のように、被疑者・被告人に会いにいかなければなりません。刑事弁護を『まともに』やっていたら、大変ですわ。」
といいなながらも、実際に、刑事弁護を『まともに』やっている先生の姿をみて、
このひとのような人間、このひとのような法曹になりたいという想いが、私の中でむくむくと膨らんでいくのを感じました。

電車の中、調停の待合室、歩きでの移動中、N先生と、私はいろんなことを話しました。
司法試験の勉強の仕方を事細かに教えてくださったり、先生の受験時代のお話を聞かせてくださいました。
また、弁論準備手続きの際に、話し合いが終わったあと、こちらに目もくれずに無言でさっさとその場を後にした、明らかに年下で後輩の相手方弁護士のうしろ姿に向かって、
深々とお辞儀をしてから、その場を後にするN先生の姿から、人として、法曹としてのあるべきようを学ばせていただきました。

このような時間をN先生と過ごしたエクスターン研修を終え、
私はこう思えるようになりました。


法曹への道のりは、司法試験に合格して法曹になった途端、明るく光が差し込み始め、それまではただ暗くて辛いだけ、というものではなく、
法曹を志し、歩み始めた瞬間から、その道中には光もあり闇もあり、喜びもあり苦しみもあるもの、なのだと。そう思うようになりました。
このことをN先生から教わり、私は、法曹への道のりを苦しくとも逃げ出したくなろうとも、あいも変わらず目を輝かせながら歩いていけるような気がしています。

私に、この時期に、このタイミングで、このような経験をさせてくださった、【在籍していたロースクール名】そして、エクスターンに携わって頂いたすべての先生方、事務の方に心から感謝しています。



最後に、エクスターンシップ終了後、N先生から頂いたメールを読み上げさせていただきたいと思います。


『エクスターン、ご苦労様でした。
気疲れされたことと思います。
また、立ち会えなかったり、説明が十分にできず、訳がわからなかったところも多々あったと思います。

(わたしが書いたエクスターンの)感想に、
検事や弁護士に対する違和感がとれたと書いてあったのを読ませて貰ってほっとしました。

検事は、素朴な正義感をぶつけることができる素晴らしい仕事です。庶民が真面目に仕事してちゃんと税金払っていれば、安心して暮らしていける国、それが日本、それを支えているのが検事です!!
もし、日本が法治国家というのなら、それを現実のものにしているのは、弁護士です。

志はあくまで高く、目線は低く、低く。情に流されず。ウォームハート&クールマインドで行きたいものです。

そして、プレッシャーを感じるのは、今、檜舞台に居るから。プレッシャーを楽しむ気持ちを忘れずに、頑張って下さい。これからも、どんなしょうもないことでも構いませんから、戸惑った時や、栄養をつけたい時は御連絡ください。

弁護士 N 』

これから、エクスターンに行かれる方々、ひとりひとりにとって、心の栄養となる出来事、出会いがありますことを、心から願っています。
ありがとうございました。


***



この原稿を私が壇上で読み上げているとき、
N先生は天国にいらっしゃいました。
エクスターン研修が終わってから数ヶ月後、
N先生は突然 事故で亡くなってしまわれたからです。

父を亡くした暗闇に、素晴らしいご縁に恵まれて射し込んだ灯であると感じていた N先生の存在も 遙か遠くに奪われてしまい、当時の私はひどく脱力し、夜中に月を睨みながら泣いたことが思い出されます。

このN先生からいただいたメールの内容は、
自分だけの宝物であると、ずっと大事に独り占めにしていこうと、そのように考えておりました。
10年近く時を重ねたいま、再びN先生の言葉に触れ、これは自分ひとりだけのなかに留めておくべきではないかもしれない、どなたか わからないけれど なにか「良きもの」を受け取ってくださり共有できましたら、それはとても ありがたいことだと思うに至り、
ここに記すことにいたしました。



さて。明日からも この道のりを噛み締めて、
前に前に進んでまいります。

願う。

辛いね、悲しいね、気の毒に…
と思いながら、
こころの隅っこのほうに確かにある、
自分は助かったのだな…という
後ろめたさを含んだ安堵感から目をそらす。

あの方がなぜこんな目に…どうして自分は…
とぐるぐる考えても、
でてくるのは都合のよい勝手で薄っぺらい解釈なだけで、
到底 心を晴らすようなものには辿り着けそうにない。


いま自分が感じている こころに横たわる
なんだか曇った重たいものの存在を認め、

いま自分がここでこのように「ある」ことを認め、

いますぐには無理なのだろうけれど、
そう遠くはないこの先で
自分が誰かの何かのためになれますように…と強く願いながら、
目の前のことに精進する他ない。






〈アガルート進捗状況〉

総合講義 民法100 終了
総合講義 憲法100 終了
総合講義 刑法100 7割

重要問題習得 民法 終了 あとは繰り返し
重要問題習得 憲法 2割

よーい、どん。

次女が幼稚園に入園した。

いまはまだ、
幼稚園へ9時に送り届けて12時にはお迎えにいく日々が続いているため、そこまで実感はないけれど、
長女がお腹に宿り 自分の意思どおりに動く自由を
そっと足元に置いて 歩き出してから、8年ぶりに
家族の誰に負担をかけるでもない 晴れやかな自由が
いま、この手に再び降りてきた。
こどもたちが学校に幼稚園に行っている時間、
私は、自分だけの意思で動くことができる。
親や夫やシッターさんに
こどもたちを預けることで生まれる自分だけの時間には必ずつきまとう、あの後ろめたさからも解放された、真に自由な時間だ。


次女の入園式の日。
私は 気付くと ぎゅっと拳をにぎりしめていた。
次女の姿を眺めながら、その成長に頬を緩めながら、
「いよいよ。ここからだな。」と司法試験に挑む気持ちを自ら高ぶらせていたのだった。

よーい、どん。

入園式の帰り道、夫と次女と手を繋いで歩きながら
心の中で自分に聞こえるように言ってみた。
ここからが勝負だ。できる限り 早く受かってしまいたい。


次女が幼稚園に行っている間。
それはもう 1秒も無駄にすまいと 机にかじりついて
勉強している。
ロースクールにいたときの自分の
1日分の勉強の成果に匹敵するんじゃないかというくらいの勢いで。充実…しているのだと思う。
可能な範囲で最大限に…進められているのだと思う。

でも… ちょっと疲れてしまった。それは 急に訪れる。
家事、長女、次女、勉強、仕事。
5枚のお皿を同時にくるくる、気を配り続けて 休みなく回しつづけなくちゃいけない。24時間、皿回し。
決して落とさないように、割らないように。どれもとても大切だから。
気の抜けない日々が続き、先日ついに
「だぁぁぁー!」となった。心の中でだけれど。

何もかも ふいに 投げ出したくなる感覚が押し寄せてきて、私はその場でじっと踏ん張る、耐える。

自分の中だけで対処しきれず、夫に話してみる。
夫も同じ経験に対する対処法を持っていた。すごいなぁ…社会人。

昔は受験勉強こそ 人生で一番しんどくて、そこをクリアしたら わりと楽な日々かと思っていたけれど浅はかな考えだったな、と改めて思う。
どの場所にいても、向上し続けるには 大変な労力と精神力を必要とするのだ。

試験は、勉強内容を習得できたかはもちろん、
いかなる環境下でも 動じない 逞しい精神性も試されているのだな、と合格していったひとたちの姿を思い起こす。私はどこまで行けるだろうか。
私の皿回しは、合格したあとも たぶん ずっと ずっと続く。






進捗状況

アガルート 総合講義100 民法 終了
アガルート 総合講義100 憲法 終了
アガルート 総合講義100 刑法 4割

アガルート 重要問題習得講座 民法(57問 / 73問中)





勉強中、次女からのかわいい差し入れ。

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旧姓か 今の姓か。

ロースクールを卒業した春に 私は夫と結婚した。

当時の私は、
司法試験を受験する気は さらさら なかったけれど、
もしこの先 司法試験を受けよう!と思ったときには
旧姓で受験したいし、
法曹になったら旧姓で働きたいと 夫に伝えていた。

いまから振り返ると、結婚を目の前によくもまぁ
そんなことを結婚相手に
面と向かって宣言したなぁ…と、
自分の尖っていた若かりし頃を懐かしく思うけれど、

あの時の自分には 旧姓の名前であった頃の自分が
26年間ずっと積み重ねてきた努力や成果が、
姓を改めることで綺麗さっぱり消えてしまうような感覚に耐えられなかったのだと思う。
それと、父に見せたかったけれど 生前は叶わなかった司法試験に合格した自分の名前は、
やはり父の娘であることの証として 旧姓で天国に示したい、との強い想いもあったのだと思う。


これらの理由を説明するまでもなく、
夫は、それはそうでしょう。といった様子で
当たり前のように 私の旧姓使用を受け入れてくれていた。


それから、夫の姓で暮らす日々が積み重なり
専業主婦としての自分、夫の姓を名乗る自分が板についてきて、
自分が旧姓使用を希望していたときの気持ちなど
綺麗さっぱり忘れて 遠くに置き去りにしていた頃…

自宅で夫がなくした携帯を探していたので
わたしの携帯から夫の携帯に電話をかけたとき、
音のなる夫の携帯をみつけた私は 胸の奥が喜びで ぎゅっ!となった。

夫の携帯には、
私の名前が 旧姓のフルネームで表示されていた。

携帯を私から受け取りながら、夫は すこし照れながら
「僕のなかでは 君は ずっと『旧姓のフルネームの私の名前』 なんだよね。」と 言った。

18歳からの付き合いである夫のなかに 消えずに居てくれた、旧姓の自分の姿と突然再会したこの出来事を機に、私は少しずつ 旧姓の自分が積み重ねてきた努力や抱き続けてきた想いに 正面から向き合うようになった。

次第に 旧姓の自分の積み重ねてきた がんばりに報いたいとの想いも芽生え、司法試験へと今の自分を突き動かした。


家族の状況にもよるけれど、早くて来年、遅くとも再来年から司法試験(予備試験)の受験を始める。

こどもたちはどう思うか、とか
夫のご両親が悲しまないか、とか
自分が旧姓を使うことについて まだ考え抜かなければならない部分はあるものの、
今のところ 旧姓で出願したいとの想いを抱いている。




幼稚園に入園した次女の上靴を ちょっぴり飾りつけ。
たのしく過ごすことができますように、と
想いを込める。

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すべては今。

ぽかぽか陽気が続いていたある日。
ひとりで京都に行く用事ができた。
まったく、めんどうだよねぇ…なんて言葉を
わたしが留守のあいだ子どもたちを見てくれる夫に
放り投げながら、
こころのなかでは るんるんスキップしていた。

ひとりきり、
京都にむかう電車のなかでテキストを開き
民法の世界に 入り込むことのできる しあわせ。
自分の意思のみで時間を組み立てられる環境を手放すまで まったく認識できずにいたなぁ。

5分に一度は勉強を中断して
こどもたちの可愛い依頼に応える日常は
愛おしくも ときに自分が摩耗しすぎてしまう。
油断するとたちまち、いつもは遠くに置いてある
いろいろな灰色の想いにのみこまれそうになる。

「もう、やめた。効率がわるすぎる。疲れた。
全然思うように進められない。
すこし先のいつか…
もうちょっと まとまった時間が確保できて
落ち着いて勉強できる時期がくるまで、
いったん勉強から離れよう。」

そんな考えがむくりと湧きあがる。
自分のこころのささくれが、家族のこころを擦ってしまいそうで立ちすくんでしまう。

それでも… 自分を覆う灰色のものを振り払うように
這ってでも前に進みたいと思う。

集中して勉強に全力で向き合える「いつか」なんて
待っていても いつまでも来ない。
今できることを できる範囲で やるしかない。

来る日も来る日も…自分に語りかけている。



ハンセン病療養所で患者たちに献身した精神科医
神谷美恵子さんの日記に記されていた言葉を読み返す。

《私は時々たまらない自己嫌悪に陥ってやりきれなくなる。しかし、自分のなすべきことについてこれからはもう絶対に遠慮や気兼ねをすまい。》

《機会と境遇に恵まれている時に、全力をつくさなかったら、勉強は永久にできないではないか。》



京都での用事を済ませたあと、卒業後 一度も近づいたことのなかった(近づく気持ちになれなかった)出身ロースクールに9年ぶりに立ち寄る。
お昼休憩で教室からでてきた たくさんのロースクール生たちとすれ違う。


ココにいたときの自分は、
機会にも境遇にも恵まれていたのになぁ…
ぼんやり考えながら、校舎をあとにする。

いや、違う。信号で立ち止まり思考を改める。

当時の自分は 大切なひとを亡くし、法曹への想いも消え失せ、勉強に心を向かわせることすら困難だったではないか。あの場を去ることのできる日が来るのを切に願って過ごしていたではないか。

それに比べたら、今の自分のありようのほうが遥かに機会にも境遇にも恵まれているではないか。

あぁそうか。懸命に突き進むために「完璧」な「理想的」な環境なんて、あるようでないものなのかもしれないな。

今がいちばん 機会と境遇に恵まれている。

常にそう思いながら、目の前の事にあたるしかないのだと思う。




現在の勉強可能時間 ⇨ 1日30分〜1.5時間
現在の進捗具合⇨
アガルート 総合講義100民法 終了、
アガルート 総合講義100憲法 4割、
アガルート 重要問題習得講座 民法5割。
民法択一過去問 ぼちぼち。




お土産に買った かわいいドーナツ。

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井戸を掘る。

刑法だったか、憲法だったか…
(基本書にサインをもらっている生徒がいたような…)
有名な基本書を執筆なさっている法学の先生が
わたしの通っていたロースクールで講演をなさったことがあった。
その講演でのお話が、
以降 自分が 物事と対峙するときの姿勢を決めてくれたような気がする。

「どの分野、どんな事でもかまいません。
ひとつのところを 深く深く 掘り下げ突き詰めてみてください。
井戸を掘るイメージです。
地道に、淡々と、地面を掘り進めていくと、
やがて地下水のある層に辿り着くでしょう。
その層は横に奥に広く繋がっているので、
たった一箇所を深く掘っただけ にもかかわらず
その場所には あちらこちらから地下水が流れて、繋がり、満ち溢れることになるのです。」

ひとつのことを突き詰めていけば いつか
おおくのことに通ずる本質に到達できる。
どの場所に自分が立っているかは大した問題ではない。いま立っている場所で懸命に事にあたれば、たどり着く場所は同じである。
と、いうことを私は心に刻んだ。


これまで 歴史上の偉人と呼ばれる方々や
社会に対して寄与度の高い方々が、
活躍された時代や分野は まったく違うのに
なぜか同じ趣旨の言葉を残したり発したりしている不思議に 理由を求めていた当時の自分は、
この地下水の話が まさにその答えだと感じたのだった。


家事でも、育児でも、仕事でも。試験勉強でも。
自分が対峙している 事柄、課題、にとりあえず全力で取り組んでみる。道中の景色は違っていても、たどり着く場所に大差はないと信じている。

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受けとった想い。

母に そろそろ来年あたりから司法試験(予備試験)を
受け始めようかと思う、と何気なく伝えた。

それを聞いた母がとても喜んでいるのをみて、
そっか…そう思っていたんだなぁ、と知る。

夢が叶い憧れていた職業にせっかく就けたのに
職場から遠く離れた地にお嫁に来たため、
仕事を辞めざるを得なかった母。
幼い頃から、
「好きなひとと結婚しても続けられる仕事に就くことができるように。」と言われて育った私。
母が抱える、仕事から離れたことへの無念の想いを
こどもながら強く感じ 律儀に それを拾い集めては
背中に乗せて歩いてきた。

母が
仕事を辞めた選択をしたことを後悔しないように、
父と結婚して田舎に来てしまったことも
こんな優秀な娘が育ったのだから よかった…と思ってもらえるように。
自分が優秀であることで なにかしら父の役に立てるのなら、母が幸せを感じてくれるのなら。
ほんとうにそれだけの動機に支えられて
がむしゃらに突き進んできた子供時代だった。
なんでも一番で いろんなひとに誉められたし
嬉しかったことも たくさんあったはずだけれど、
自分にとっては二度と戻りたくない時代でもある。
誰かの期待に応え続けなければならない、
という重圧につぶされながら耐える日々は安らぎからは程遠い場所だった。


そんな状況は結局ロースクールを卒業するまで続き、
いよいよ司法試験に挑むチケットを手に入れた!というタイミングで、
なにかの拍子に母と口論になったことがきっかけとなり、私は母に宣言したのだった。
「もうやめた。これは、わたしの人生だから。
これからは、自分だけの気持ちに従って、自分だけのための選択をする。」
もう、母の期待に応える娘をやめます、
法曹にもいまはなりたいと全く思わないから司法試験を受ける気はない、
そんなようなことをはっきりと言った。


母はどんな気持ちでその言葉を聞いていたのだろう…
と いまになって ようやく 当時の母の心に想いを馳せる。
ずっと、ずっと、20年以上に渡り
娘が目標に向かって突き進む姿を誠心誠意 サポートし、体力的に辛くとも わが子を支える喜びを感じてきた母にとって どんなに辛い宣告だったかと思う。


私が司法試験に向かう気持ちになったことを聞いて
心底 ほっとしたような 喜びに満ちた表情をする母を眺めながら、

いまの自分がしている選択は、あのときとは違って
純粋に自分だけのためにした選択で、誰を喜ばせるためのものでもないけれど、
自分に注いでいただいた 誰かの想いは
突き返したり、負担に思ったりせずに
零すことなく ありがたく自分のなかに留めていかなくてはならぬものなのだな、と 強く思った。



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