まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。司法試験受験回数0回。いまから、ここから、はじめます。まえをむいて。

脱力ポイントを乗り越える。

 

記述式の問題演習をしていると かならず、

はぁぁぁ…つかれたぁ…。

と、ペンをぽいっと投げて、天井を見つめて

椅子をくるくる。干されたイカ🦑みたくなる

脱力ポイントがある。

 

自分の場合は いつもここ。

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事案の概要を整理して、使う条文を定めて、

論ずべきことを明らかにして、

さて、これらを踏まえて 答案の内容を組み立てましょうか、という段階で、

いつも 立ち止まってしまう。

 

理由はおそらく次の2つ。

ひとつめは、

「いよいよ 答案の骨子を書く段階だ。

できるだけ 丁寧かつ正確に書かなくちゃ。」という

自分に過度に求めすぎてしまうことにより生じる

気の重たさ。と

 

「だいたい事案の概要も、論ずべき事柄もわかったし、

もう これくらいでいいじゃん。

具体的な答案構成はやらずに、先にすすんじゃおう。」

という楽をしたい気持ち。

 

そして私はイカ🦑になる。

 

いまの自分には

「そんなことじゃ、受からないよ!がんばるのだ!」と

自分を叱咤激励する気力も勢いもない。困った。

 

そこで、こう考えることにして、

とりあえず いまを乗り越えることにした。

 

「明日は試験。失敗したら大変。

特別にこの紙に書いたことだけは、

試験に持ち込み、見ることを許しましょう。

さぁ何をどう書く?」

 

と、自分に言い聞かせて しぶしぶ書き始めた。

 

紙面が限られている設定なので、

自ずと要点を明確にして、

書く内容も整理し厳選するように思考が働く。

記述量が減り 書く負担も少なくなったため

だんだん 気持ちも軽くなっていった。

 

うまく脱力ポイントを乗り越えることができた。

 

スルメになる前になんとか前に進んでいかなくては。

しばらくこれで行こうと思う。

 

《自分がどこで止まってしまうか認識して 乗り越える。》

を、きょうも 少しずつ 積み重ねていく。

 

 

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素直に丁寧に書く。

 

記述式の採点の仕事(法律系ではないです。)をすると、

答案に記載されている内容のなかから、

 

「間違っている部分」を探し出して

どんどん減点していきましょう。

 

という視点ではなく、

 

「的確に書けている部分」を見つけ出して

できる限り加点してあげましょう。

 

という視点で、

自分が採点をしていることを たびたび実感する。

 

予備試験や司法試験の記述式試験が

どんな基準で採点されているのかよく知らないけれど、

 

自分の書いた答案を読むことになる

採点者の方が

加点をしやすい形で書けているかを意識して答案を書くことは、

きっと大切なことなのではないかなぁ…と

思っている。

 

文章の書き方の形式が守られていること。

 

一文が適切な長さで、読みやすいこと。

 

問われていることを

ちゃんと正しく認識していて

それについては、ここに記していますよ、と

採点者の方に伝わるように書くこと。

 

あと、明らかにおかしいことは なるべく書かないこと。

 

途中答案だけは避けること。

 

司法試験系のものではないけれど、

記述式の答案を採点をしているときに

自分が気づいたことを書き出していくうちに、

「あ。そういえば。」

と思い出して昔使っていた判例六法を手に取った。

 

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司法修習生の先輩が教えてくださったことを

判例六法の背表紙の裏に 書き留めたものである。

 

確かな知識を携えて、それを的確に使いこなし

答案に刻むことができるようになりたいなぁ…

 

 

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深く。より深く。

 

「このテキストだけでは不十分。」だとか、

「その問題集だけ繰り返しても合格には足りない。」だとか。

 

ロースクールの自習室の近くの廊下で

習熟度の高い学生さんたちが

そのような会話をしているのをよく耳にした。

 

その頃、

自分はすべての法律科目を一から学習し始めている習熟度の低い学生だったので、

度々聞くその類の話も なんのこっちゃだった。

 

それから…

ひととおり司法試験の法律科目の基礎を知り

演習問題にも取り組むようになって、

今一度 あのときの学生さんたちの議論に想いを

馳せることとなった。

 

 

《ひとつのテキストや問題集を繰り返し学習すること》

自分は、この勉強方法がやっぱり効率的で

良いんでないかなぁ…と思う。

でも、それには、ひとつだけ前提がある。

それは、

「自分」が繰り返すたびに

「掘り下げる」ことができている、

と感じることのできるテキストや問題集を使っている、

ということである。

 

言い方を変えると…

繰り返すたびに なにかひとつでも

「前に取り組んだときには気づかなかったこと、気にならなかったことを、

新たに見つける体験ができるテキストや問題集」というか、

 

「1回目より2回目、2回目より3回目…と

その箇所、その問題に 繰り返し 巡り合うたびに、

一段さらに一段と

見え方が景色が変わってくるテキストや問題集」というか。

 

「自分にとって」のそのような体験ができる

テキストや問題集のことを、

《相性が良い教材》というのではないか、と

思うのである。

 

 

なので、冒頭の学生さんたちの会話というのは

それぞれ正しいのだろうなぁと思う。

なぜなら、

当該教材が「自分にとって」

掘り下げることができる教材であるか否かによって、

それを2回、3回と繰り返し学習することの効果に

大きな差が生じると思うからである。

 

「これだけでは足りない。不十分。」と

「そのひと」が感じる教材は

そのひとにとっては そうなのだろうし、

またその反対に、

「これを繰り返すだけで足りる。十分。」と

「そのひと」が信じることのできる教材は

そのひとにとっては そうなのだと思う。

 

 

自分自身も

いろいろな予備校の講座やテキスト、問題集、基本書を手に取り学習してきて、

よくやくたどり着いた「自分にとって」《相性の良い》教材が

アガルートの工藤先生のものだった。

テキストを読むたびに、問題を解くたびに新しい発見がある。

 

 

ロースクール時代に聞いた話で

文学部出身の方が ひたすら

全科目の主要判例の 一審、控訴審、上告審を

順にすべて読み込んでいき、

ほんとうにそれだけで本試験を受けて

一発合格されたというのがあった。

ほんとうかしら…と驚いてしまう合格体験談

だけれど、

文学部出身で きっと 「情報を読みとる」能力に秀でている方であったために

判例の全文を読むたびに

新たな発見をなさりながら学習を進めていらっしゃったのかな…

その方にとっては判例がいちばん《相性の良い》教材だったのかな…と

考えると 理解できる気がする。

 

 

「繰り返し」というけれど、ほんとうは

「掘り進める」ということなのではないかしら。

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植木鉢を掘る 我が家の犬。

 

 

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緊張しない練習。

 

昔から試験本番に弱い。

本番になると、

客観的に自分の実力を見積もっても

[これくらいは確実にできるだろう]という

ところの6、7割しか自分本来の力を発揮できない。

ひどい時はそれ以下のときもある。

 

大学受験のセンター試験のときもそうだったし

法科大学院適性試験(いまはもうなくなったとか…もうすぐなくなるとか…)もそうだった。

私の平常時の成績を知る先生やチューターさん、周りのひとたちはみな、

私の試験本番の点数をみるとかならず

「あれ?どした?」と気の毒そうに私をみる。

「なんでこうなるのっ!」と毎回自分を責めてきた。

 

そんな私だが、ただ単に緊張しい というわけではない。

多くの人前で話をすることはわりと得意で、

不思議とまったくあがらない。

それに、小論文や面接の試験も得意である。

これもまったく緊張しない。

ロースクール入試のときは

適性試験の点数のみの判定ではどこもDとE判定だったが

(結果を見たレックの方に「絶望的です。」と真顔で言われた。言葉のチョイスよ。)、

小論文と面接試験でうまいこと合格できたようだ。】

ロースクールの定期試験も論文式で

自分の得意な小論文型に近いものだったため、

こちらも大丈夫だった。

 

なぜだ。

なぜセンター試験適性試験型の試験は

うまくいかないのだ。

 

予備試験、司法試験には[短答式試験]があり、

これはまさに、

自分が不得意とする[緊張してしまうほう]の試験である。

果たして自分はここを突破できるのだろうか。

試験本番までに自分はどうにかここを克服しなければならない。

真剣にそして深刻に考えはじめた。

 

 

あ。

[緊張してしまうほう]の試験にやたら強いひとがそばにいることに気がついた。

 

夫である。

彼は試験本番で実力以上の力を発揮する、

こつこつ積み重ね型の人間からすると 不可解でしかないタイプであった。

 

私は度々 夫に尋ねた。

「ねぇ。なんで試験本番で実力を発揮できるの?」

「ねえ。試験本番で いままで緊張したことある?」

「ねぇ。試験中にうまく解けなくて、

このままじゃ落ちる!たいへんだ!どうしよう!って、

頭が真っ白になったり、パニックになったりしたことないの?

なんで?」

と、おそらく彼にはまったく興味のない話を

度々話題にあげて、

自分が長年抱えてきた大問題の

解決の糸口をどうにか探そうとした。

 

ちゃんと答えないと

この面倒な質問が永遠に続くと思ったのか

ある日、ようやく

私の度重なる上記の質問に対し、

夫は 真剣な顔をして 考える態勢にはいった。

 

よし。

 

試験本番中に彼の頭と心でなにが起こっているかを ぽつりぽつりと 話し出した。

彼の話の要点はこうである。

 

・緊張はしている。

・でも、「緊張」は「自分の実力を発揮すること」には、なんら影響はしない。というか、影響させない。

・試験が思うようにいかず、本番中に「やばいな。」との考えが頭に浮かび 気が散って

試験問題を上滑りな読み方で解いてしまっていることを自覚した瞬間、

「とりあえず、この問題に集中しよう。」と気持ちを切り替える。そして、目の前の問題のことだけを考える。

 

ということだった。

なるほど。

緊張やプチパニック、上滑りな読み方になってしまうことなど…

試験本番に頭や心の中に生じていることは

自分と大差ないということは 良き発見だった。

 

自分との大きな違いは、それをどう扱うか、であった。

 

どこか完璧主義なところがあり、

自分自身に課すハードルが高いため

失敗を過度に恐れてしまう。

これは意識が「いま」ではなく

「失敗した結果が生じてしまうかもしれない 未来」に

飛んでしまっている状態。

 

「ああ…苦手なタイプの試験だ。また緊張してうまくいかなかったらどうしよう。」

これは意識が「いま」ではなく

「前に失敗して残念だった過去」に縛られてしまっている状態。

 

未来も過去も、「いま」の自分はどうにもできないものである。

唯一、コントロールできるのは「いま」目の前にあることだけなのである。

 

自分の意識を「いまここ」にぴたっと集中させ

どこかに飛んで行っても すぐに取り戻す、

という練習をそれから日々、とりあえず

日常生活のなかで続けてみることにした。

 

意識を「いま」だけに集めると

たくさんの悩みや不安が消えていく。

 

 

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クリスマス会や個人懇談。

こどもたちの帰宅時間が早く

家でゆっくりすごす時間が長くなる時期になった。

あとすこしで冬休み。

 

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仲間。

 

はじめて自分のブログに

星マーク⭐️(下のほうにあるいいね!ボタンみたいなもの。)を付けていただいた。

ありがとうございます。

とてもうれしかったです。

 

私は、いまこのブログとご縁があり

目にしてくださっている方々のことを、

誠に勝手ながら《仲間》だと想っております。

そして…

きっと自分よりも先に

法曹界に進んでいかれる方々だとも思っております。

 

 

私はロースクールがあまり…(ほんとうはすごく)

好きではありませんでした。

閉鎖的で過密な人間関係や、

人生をかけて司法試験に挑む方々の切迫した

殺伐とした空気に日々晒されて、

強いストレスを感じていました。

とにかく早くここから去りたいとばかり願って

過ごしていました。

 

卒業から10年近くの時を経て

自分のこころをそっとのぞいてみたとき、

そこに残っていたのは…

ロースクールでいろいろな方が自分に

与えてくださっていた数々の温かな想いでした。

 

父が他界した直後は

心が空っぽで何に対しても力がはいらない状態でしたが、

数回欠席しただけで単位を落として留年になってしまうため、

とにかく気を張ってロースクールに向かい

重たい足を運んでいた時期がありました。

そんなとき、

私のキャレル(自分用の自習ブース)に

「きょうもよくがんばったね。」

「つらいね。ちゃんとご飯をたべるんだよ。」

と、毎日 そっと置き手紙をしてくださる方がいました。

その方は、それからずっと私の心を支えてくださいました。

 

自分の気持ちが法曹から完全に離れてしまい、

ロースクールから退学することも視野に入れて

就活のためにリクナビにも登録して、

(なぜか)ユニクロで早朝のバイトを始めた頃、

やる気ゼロパーセントの状態で

教科書はもちろん 六法ももたず、ルーズリーフ一枚とボールペン一本を机にぽんと置いて

ただぼぉっと行政法の講義に出席していた時期がありました。

すると、ご自身の判例六法を

授業の度に 私の前にすっと差し出し貸してくださる方がいらっしゃいました。

その方は後日、それまでの行政法講義ノートの写しを「よかったらどうぞ。」と、くださいました。

私は正気を取り戻し、

リクナビ登録を削除し、バイトを早々に辞め、

再び勉強に専念しはじめました。

この方がいらっしゃらなかったら、

私はこの数ヶ月後にロースクールを辞めていたかもしれません。

 

他にも…私を見かねて勉強計画を一緒に考えて立ててくださった方、

「きっと良いアドバイスを聞けるよ。」と司法修習生の知り合いの方を紹介してくださり

たくさんの貴重なお話を伺う機会を与えてくださった方、

完璧なまとめプリントをテスト前に「いる?」と授けてくださった方、

悩んでいると伝えると丁寧に話を聞いてくださった方。

「あなたの気持ち、すごくよくわかるよ。」と

想いのこもった優しいお手紙をくださった方…

 

自分がいただいてきた数々のものを ようやく自覚できるようになったとき、

司法試験とちゃんと向き合おう、との想いを抱けるようになりました。

 

いまは当時のように、司法試験=ロースクール

の時代ではないと聞いています。

受験回数も3回から5回に増えたそうです。ミラクル!

同じ時期に、同じ場所を目指して歩ませていただいていることを

とても ありがたく うれしく思っています。

 

ひとりひとり。

いま日々を重ねている環境や

抱いている想いはさまざまですが、

いつかどこかで

法曹になるタイミングに少し違いはあるにせよ

司法試験を越えたその先で

お会いできる日がくるのではないかと

密かに思っています。

 

なので、未熟な今の私では

ロースクールで自分に多くを与えてくださった方々のようにはいきませんが、

いまの自分に出来ることを見つけ、

これからも共有させていただけたら、と思います。

 

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「わからないこと」が わからなくなる前に。

 

こどもに勉強を教えるときに

細心の注意を払って取り組むようにしているのは

その子がその分野を「はじめて」学習する場面において、である。

 

「はじめて」のときに その分野や問題を

どんなに時間がかかったとしても焦らず

丁寧に確実に 根っこのほうから 理解させてあげておくと、

その根は、

あとは自然に降ってくる知識の雨に委ねておけばぐんぐん伸びて 

土にしっかりと根ざし揺るがなくなる。

 

反対に、切り花の茎を土に直接差し込んで

手っ取り早く見栄えのよいお花畑を作り出すような、

「わかったつもり」の「理解の不十分な知識」を増やしてしまうと、

一時は優秀で素晴らしいと讃えられるし、

よい気分も味わえるが、根のない知識は

そのうちかならず枯れるときがくる。

 

 

自分がそうだった。

「思考を伴う数学の理解」ではなく、

「単に数式の処理方法を覚えた」だけだった。

それなのに、幼い子が高校教材を解いている!

と周りの大人たちが喜ぶものだから、

自分は数学が得意なのだと思い込むようになった。

 

そんな土に差し込んだ切り花が、枯れたのは

高校生になったときだった。

 

一年生最初の 数学Aの「集合」の授業が

何を言っているのかまったくわからなかった。

数学は得意なはずなのに…愕然とした。

数式の機械的な処理ではなく、

本格的な「思考力」を問う段階に学習が進むにつれ

大きな壁にぶつかり立ちすくむようになった。

 

単なる勉強不足なら希望がある。

勉強をもっとすれば解決するからである。

けれど、自分の場合は違った。

 

「自分は何がわからないのかが、わからない。」のである。

 

「理解が伴わない」知識のやっかいなところは、

それがもう 不確かさを持ったまま「わかっていること」

として自分の中に収まって深く潜り込んでしまう点である。

 

自分の奥深くに落ちてしまっている

「わかったつもりだけど 実は わかっていなかった」知識を

探し出し、捕まえて、理解し直す作業は

ほんとうに、ほんとうに、

多大な時間と労力が奪われるものである。

実際、すごく大変だったと記憶しているし、

「はじめて」のときに丁寧に確実に思考を経た

納得をもって知識を習得した方々と比べると、

自分は何倍もの 時間と労力の浪費をしたと感じている。

貴重な時間をそんなことに使ってしまい

もったいなかったなぁ、といまでも思う。

 

なので。

こどもに勉強を教えるときに限らず

自分が勉強をするときにも、

 

自分の「わからないこと」が

自分でもわからなくなる前に、

 

ひとつひとつの知識や情報と「はじめまして」の場面では、

それらを 誠実に丁寧に扱い

自分の中におさめるように、と心がけている。

 

 

 

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こどもにも。自分にも。

できるだけ整理された 必要なものだけを

大切に丁寧に おさめてあげたい。

 

 

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答案構成シート

 

問題演習をする際に書いた

自分の思考過程を記したメモ

(答案構成というほど立派なものではないけれど…)は、

これまで ずっと広告の裏に書いては

正解を確認して見直しを終えたら捨てていたけれど、

 

次回以降 再び同じ問題にあたるときまでに、

この自分の答案構成シートを

あまり集中できない時などに ぼーっと眺めておくと、

思いのほか 何にもしないときよりは

遥かによく

記憶にのこってくれるようになったと感じたので、

ここで共有できたら、と思う。

 

 

使うのはA4サイズの用紙で、

うえから順に…

①Title(テキスト名、問題番号、過去問の年度)

②Topics(事案を整理する。関係図をかく。問われていると思う点を書き出す。)

③Article(事案で使う条文を書き出す。とりあえず、間違っていてもいいので関係ありそうだと思う条文があれば書き出す。)

④Outline(以上を踏まえて 論の流れを整理する。)

という構成で区分けしてある。

 

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この答案構成シート一枚を、

演習問題と、六法だけを机に置いて

できるかぎり上記の枠を埋めてみる。

 

取り組んだ演習問題が

知らなさすぎる範囲や論点だった場合は、

自分のなかで「見ていないこと」にして、

解説や模範解答を ちらっと「見る」。

そして、ちらっとみえた条文やキーワードを

とっかかりにして、

条文を頼りにできるだけ枠を埋める。

 

そして、答案構成シートを書き上げたら

解説や模範解答をみて、

自分が気づいていなかった論点や

間違えていた箇所や不要な条文に赤色で

添削を入れていく。

 

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こんな感じになる。

 

自分の思考過程をいらない紙に書いて

捨てていたときは、

やはり雑な思考になっていたり、

解答確認の場面でも 浅い見直しになっていたり、していたと思う。

 

整った答案構成シートに

自分の思考過程を書いて それを、

「残して」「役立てる」との目的意識のもとで取り組む問題演習は、以前より

丁寧で深いものになっているように感じている。

 

 

また、勉強が進めば変化したり、改善されたり、するものだと思うけれど、

いまのところ 自分はこの答案構成シートで

事足りている。

 

 

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※自由にプリントアウトできます。

 

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