まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。司法試験受験回数0回。いまから、ここから、はじめます。まえをむいて。

よーい、どん。

次女が幼稚園に入園した。

いまはまだ、
幼稚園へ9時に送り届けて12時にはお迎えにいく日々が続いているため、そこまで実感はないけれど、
長女がお腹に宿り 自分の意思どおりに動く自由を
そっと足元に置いて 歩き出してから、8年ぶりに
家族の誰に負担をかけるでもない 晴れやかな自由が
いま、この手に再び降りてきた。
こどもたちが学校に幼稚園に行っている時間、
私は、自分だけの意思で動くことができる。
親や夫やシッターさんに
こどもたちを預けることで生まれる自分だけの時間には必ずつきまとう、あの後ろめたさからも解放された、真に自由な時間だ。


次女の入園式の日。
私は 気付くと ぎゅっと拳をにぎりしめていた。
次女の姿を眺めながら、その成長に頬を緩めながら、
「いよいよ。ここからだな。」と司法試験に挑む気持ちを自ら高ぶらせていたのだった。

よーい、どん。

入園式の帰り道、夫と次女と手を繋いで歩きながら
心の中で自分に聞こえるように言ってみた。
ここからが勝負だ。できる限り 早く受かってしまいたい。


次女が幼稚園に行っている間。
それはもう 1秒も無駄にすまいと 机にかじりついて
勉強している。
ロースクールにいたときの自分の
1日分の勉強の成果に匹敵するんじゃないかというくらいの勢いで。充実…しているのだと思う。
可能な範囲で最大限に…進められているのだと思う。

でも… ちょっと疲れてしまった。それは 急に訪れる。
家事、長女、次女、勉強、仕事。
5枚のお皿を同時にくるくる、気を配り続けて 休みなく回しつづけなくちゃいけない。24時間、皿回し。
決して落とさないように、割らないように。どれもとても大切だから。
気の抜けない日々が続き、先日ついに
「だぁぁぁー!」となった。心の中でだけれど。

何もかも ふいに 投げ出したくなる感覚が押し寄せてきて、私はその場でじっと踏ん張る、耐える。

自分の中だけで対処しきれず、夫に話してみる。
夫も同じ経験に対する対処法を持っていた。すごいなぁ…社会人。

昔は受験勉強こそ 人生で一番しんどくて、そこをクリアしたら わりと楽な日々かと思っていたけれど浅はかな考えだったな、と改めて思う。
どの場所にいても、向上し続けるには 大変な労力と精神力を必要とするのだ。

試験は、勉強内容を習得できたかはもちろん、
いかなる環境下でも 動じない 逞しい精神性も試されているのだな、と合格していったひとたちの姿を思い起こす。私はどこまで行けるだろうか。
私の皿回しは、合格したあとも たぶん ずっと ずっと続く。






進捗状況

アガルート 総合講義100 民法 終了
アガルート 総合講義100 憲法 終了
アガルート 総合講義100 刑法 4割

アガルート 重要問題習得講座 民法(57問 / 73問中)





勉強中、次女からのかわいい差し入れ。

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旧姓か 今の姓か。

ロースクールを卒業した春に 私は夫と結婚した。

当時の私は、
司法試験を受験する気は さらさら なかったけれど、
もしこの先 司法試験を受けよう!と思ったときには
旧姓で受験したいし、
法曹になったら旧姓で働きたいと 夫に伝えていた。

いまから振り返ると、結婚を目の前によくもまぁ
そんなことを結婚相手に
面と向かって宣言したなぁ…と、
自分の尖っていた若かりし頃を懐かしく思うけれど、

あの時の自分には 旧姓の名前であった頃の自分が
26年間ずっと積み重ねてきた努力や成果が、
姓を改めることで綺麗さっぱり消えてしまうような感覚に耐えられなかったのだと思う。
それと、父に見せたかったけれど 生前は叶わなかった司法試験に合格した自分の名前は、
やはり父の娘であることの証として 旧姓で天国に示したい、との強い想いもあったのだと思う。


これらの理由を説明するまでもなく、
夫は、それはそうでしょう。といった様子で
当たり前のように 私の旧姓使用を受け入れてくれていた。


それから、夫の姓で暮らす日々が積み重なり
専業主婦としての自分、夫の姓を名乗る自分が板についてきて、
自分が旧姓使用を希望していたときの気持ちなど
綺麗さっぱり忘れて 遠くに置き去りにしていた頃…

自宅で夫がなくした携帯を探していたので
わたしの携帯から夫の携帯に電話をかけたとき、
音のなる夫の携帯をみつけた私は 胸の奥が喜びで ぎゅっ!となった。

夫の携帯には、
私の名前が 旧姓のフルネームで表示されていた。

携帯を私から受け取りながら、夫は すこし照れながら
「僕のなかでは 君は ずっと『旧姓のフルネームの私の名前』 なんだよね。」と 言った。

18歳からの付き合いである夫のなかに 消えずに居てくれた、旧姓の自分の姿と突然再会したこの出来事を機に、私は少しずつ 旧姓の自分が積み重ねてきた努力や抱き続けてきた想いに 正面から向き合うようになった。

次第に 旧姓の自分の積み重ねてきた がんばりに報いたいとの想いも芽生え、司法試験へと今の自分を突き動かした。


家族の状況にもよるけれど、早くて来年、遅くとも再来年から司法試験(予備試験)の受験を始める。

こどもたちはどう思うか、とか
夫のご両親が悲しまないか、とか
自分が旧姓を使うことについて まだ考え抜かなければならない部分はあるものの、
今のところ 旧姓で出願したいとの想いを抱いている。




幼稚園に入園した次女の上靴を ちょっぴり飾りつけ。
たのしく過ごすことができますように、と
想いを込める。

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すべては今。

ぽかぽか陽気が続いていたある日。
ひとりで京都に行く用事ができた。
まったく、めんどうだよねぇ…なんて言葉を
わたしが留守のあいだ子どもたちを見てくれる夫に
放り投げながら、
こころのなかでは るんるんスキップしていた。

ひとりきり、
京都にむかう電車のなかでテキストを開き
民法の世界に 入り込むことのできる しあわせ。
自分の意思のみで時間を組み立てられる環境を手放すまで まったく認識できずにいたなぁ。

5分に一度は勉強を中断して
こどもたちの可愛い依頼に応える日常は
愛おしくも ときに自分が摩耗しすぎてしまう。
油断するとたちまち、いつもは遠くに置いてある
いろいろな灰色の想いにのみこまれそうになる。

「もう、やめた。効率がわるすぎる。疲れた。
全然思うように進められない。
すこし先のいつか…
もうちょっと まとまった時間が確保できて
落ち着いて勉強できる時期がくるまで、
いったん勉強から離れよう。」

そんな考えがむくりと湧きあがる。
自分のこころのささくれが、家族のこころを擦ってしまいそうで立ちすくんでしまう。

それでも… 自分を覆う灰色のものを振り払うように
這ってでも前に進みたいと思う。

集中して勉強に全力で向き合える「いつか」なんて
待っていても いつまでも来ない。
今できることを できる範囲で やるしかない。

来る日も来る日も…自分に語りかけている。



ハンセン病療養所で患者たちに献身した精神科医
神谷美恵子さんの日記に記されていた言葉を読み返す。

《私は時々たまらない自己嫌悪に陥ってやりきれなくなる。しかし、自分のなすべきことについてこれからはもう絶対に遠慮や気兼ねをすまい。》

《機会と境遇に恵まれている時に、全力をつくさなかったら、勉強は永久にできないではないか。》



京都での用事を済ませたあと、卒業後 一度も近づいたことのなかった(近づく気持ちになれなかった)出身ロースクールに9年ぶりに立ち寄る。
お昼休憩で教室からでてきた たくさんのロースクール生たちとすれ違う。


ココにいたときの自分は、
機会にも境遇にも恵まれていたのになぁ…
ぼんやり考えながら、校舎をあとにする。

いや、違う。信号で立ち止まり思考を改める。

当時の自分は 大切なひとを亡くし、法曹への想いも消え失せ、勉強に心を向かわせることすら困難だったではないか。あの場を去ることのできる日が来るのを切に願って過ごしていたではないか。

それに比べたら、今の自分のありようのほうが遥かに機会にも境遇にも恵まれているではないか。

あぁそうか。懸命に突き進むために「完璧」な「理想的」な環境なんて、あるようでないものなのかもしれないな。

今がいちばん 機会と境遇に恵まれている。

常にそう思いながら、目の前の事にあたるしかないのだと思う。




現在の勉強可能時間 ⇨ 1日30分〜1.5時間
現在の進捗具合⇨
アガルート 総合講義100民法 終了、
アガルート 総合講義100憲法 4割、
アガルート 重要問題習得講座 民法5割。
民法択一過去問 ぼちぼち。




お土産に買った かわいいドーナツ。

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井戸を掘る。

刑法だったか、憲法だったか…
(基本書にサインをもらっている生徒がいたような…)
有名な基本書を執筆なさっている法学の先生が
わたしの通っていたロースクールで講演をなさったことがあった。
その講演でのお話が、
以降 自分が 物事と対峙するときの姿勢を決めてくれたような気がする。

「どの分野、どんな事でもかまいません。
ひとつのところを 深く深く 掘り下げ突き詰めてみてください。
井戸を掘るイメージです。
地道に、淡々と、地面を掘り進めていくと、
やがて地下水のある層に辿り着くでしょう。
その層は横に奥に広く繋がっているので、
たった一箇所を深く掘っただけ にもかかわらず
その場所には あちらこちらから地下水が流れて、繋がり、満ち溢れることになるのです。」

ひとつのことを突き詰めていけば いつか
おおくのことに通ずる本質に到達できる。
どの場所に自分が立っているかは大した問題ではない。いま立っている場所で懸命に事にあたれば、たどり着く場所は同じである。
と、いうことを私は心に刻んだ。


これまで 歴史上の偉人と呼ばれる方々や
社会に対して寄与度の高い方々が、
活躍された時代や分野は まったく違うのに
なぜか同じ趣旨の言葉を残したり発したりしている不思議に 理由を求めていた当時の自分は、
この地下水の話が まさにその答えだと感じたのだった。


家事でも、育児でも、仕事でも。試験勉強でも。
自分が対峙している 事柄、課題、にとりあえず全力で取り組んでみる。道中の景色は違っていても、たどり着く場所に大差はないと信じている。

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受けとった想い。

母に そろそろ来年あたりから司法試験(予備試験)を
受け始めようかと思う、と何気なく伝えた。

それを聞いた母がとても喜んでいるのをみて、
そっか…そう思っていたんだなぁ、と知る。

夢が叶い憧れていた職業にせっかく就けたのに
職場から遠く離れた地にお嫁に来たため、
仕事を辞めざるを得なかった母。
幼い頃から、
「好きなひとと結婚しても続けられる仕事に就くことができるように。」と言われて育った私。
母が抱える、仕事から離れたことへの無念の想いを
こどもながら強く感じ 律儀に それを拾い集めては
背中に乗せて歩いてきた。

母が
仕事を辞めた選択をしたことを後悔しないように、
父と結婚して田舎に来てしまったことも
こんな優秀な娘が育ったのだから よかった…と思ってもらえるように。
自分が優秀であることで なにかしら父の役に立てるのなら、母が幸せを感じてくれるのなら。
ほんとうにそれだけの動機に支えられて
がむしゃらに突き進んできた子供時代だった。
なんでも一番で いろんなひとに誉められたし
嬉しかったことも たくさんあったはずだけれど、
自分にとっては二度と戻りたくない時代でもある。
誰かの期待に応え続けなければならない、
という重圧につぶされながら耐える日々は安らぎからは程遠い場所だった。


そんな状況は結局ロースクールを卒業するまで続き、
いよいよ司法試験に挑むチケットを手に入れた!というタイミングで、
なにかの拍子に母と口論になったことがきっかけとなり、私は母に宣言したのだった。
「もうやめた。これは、わたしの人生だから。
これからは、自分だけの気持ちに従って、自分だけのための選択をする。」
もう、母の期待に応える娘をやめます、
法曹にもいまはなりたいと全く思わないから司法試験を受ける気はない、
そんなようなことをはっきりと言った。


母はどんな気持ちでその言葉を聞いていたのだろう…
と いまになって ようやく 当時の母の心に想いを馳せる。
ずっと、ずっと、20年以上に渡り
娘が目標に向かって突き進む姿を誠心誠意 サポートし、体力的に辛くとも わが子を支える喜びを感じてきた母にとって どんなに辛い宣告だったかと思う。


私が司法試験に向かう気持ちになったことを聞いて
心底 ほっとしたような 喜びに満ちた表情をする母を眺めながら、

いまの自分がしている選択は、あのときとは違って
純粋に自分だけのためにした選択で、誰を喜ばせるためのものでもないけれど、
自分に注いでいただいた 誰かの想いは
突き返したり、負担に思ったりせずに
零すことなく ありがたく自分のなかに留めていかなくてはならぬものなのだな、と 強く思った。



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条文を読みたい。

民法のインプットをひととおり終えて、
アウトプットをしながら 再度インプットをしている
きょうこのごろ。

歩いている時間は
答案構成をしたり
読みたての解説が頭に入っているか確認したり
「思考」するのに適しているようなのだけれど、

電車やベンチでじっとしている時間は
どうしてだか「思考」していたはずのあまたのなかが いつの間にか「空想」に入れ替わっていて、
はっ(΄◉◞౪◟◉`)!
として お花畑から とぼとぼ こちらに引き戻す
といったことになってしまっている。


どうしたものか…


何かながめるものがあれば、思考が飛んでいかず
留めておくことができるかも。
そうだ!何か読もう。

民法の勉強が進むにつれ そろそろちゃんと
条文を読みたいなぁ、と考えていたことを思い出し、
手元の判例六法をながめる。

『平成21年』

さすがに古いかなぁ…いまが買い替えどきかしらん。

ロースクール生時代の書き込みが なかなか
使えて便利だったので、特に不便も感じず
使い続けてきたのだけれど。

Amazonのレビューをみながら、
どの六法を買おうかなぁと考えている。
文字の大きさとか 紙質とか 民法改正に対応とか
いろいろ考えてみなさん購入なさっているんだなぁと
感心する。

この手元にある判例六法も、たしか合格した先輩が
判例六法掲載の判例は全部押さえないと合格は難しい。」とおっしゃっていたと聞いて購入したんだっけ。ふふ。
情報に溺れ 漂流していた若かりし頃を思い出し苦笑い。

さてさて。勉強しましょうか。

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現実は想いにつづく。

仕事が減ってしまった。

こうなることは ほんとうはわかっていたし
頭のすみっこのほうで期待すらしていたのだけれど、
現実にそうなると… ちょっと悲しいし不安になる。


ロースクールを卒業した春には専業主婦になり
社会人経験がまったくないまま 数年間を過ごしてきた
幼い子どもたちを抱えた私を いったい誰が雇うのだろう…
と 一番思っていたのは 他でもない自分自身だった。


それなのに、私を雇ってくださった。
働く機会を与えてくださった。
そのご恩に報いたい一心で これまでずっと
全力で仕事に向き合ってきた。


それなのに…いつからだろう。
だんだんと自分の仕事に対する想いが変わってきたのは。

子どもたちが成長するにつれ、
私が家から出て仕事に向かうことを
想定していた以上に寂しがり嫌がるようになったことも一因としてあるだろう。

けれども、最たる原因は
「仕事をしている時間を勉強時間に充てられたらいいのに。」という想いが自分のなかに芽生えてしまったことにある、と思う。

最初は豆粒みたいだったはずの その想いが作用した
自分のちいさな選択が積み重なり、
結果…現実がこうなった。


任される仕事が減ってしまった現実を受けて、
「これまで何年間もかかって、
懸命に自分が得てきたはずの信頼が、目の前で一瞬にして消えてしまったなぁ。自分が望んで招いたことなのに、なかなか辛いもんだね。」と私はつぶやく。

それを聞いた夫が、
「僕はそうは思わない。今回のことは、職場による『君の信頼性』に対する評価ではなく、『君が置かれている状況』に対する判断だと思う。君自身に対する信頼が失われたわけではないよ。」と返す。


繰り返し、
あたまのなかで 夫の言葉をなぞっているうちに
思考が前を向く。


そう。勉強することのできる時間が増えたのだ。
自分の密かな願いが、膨らみ続けていた想いが
この現実を導き出したのだと、思う。

こうなったらもう。がんばるしかない。前を向いて。





次女のお気に入りの遊び。メイクアップ りかちゃん。
消しては書いてを繰り返す。
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