まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

素直に修正できるひとに。

 

こども自身が必ずもつ《育つ力》を信頼して

自分の役目としては、育つ様子をそばで見守り

必要とあらば、あらよっと、

こどもの邪魔にならないように気をつけて、

ちょろちょろ水を注ぐ。

といった感じで、こどもを育んできた。

なので、あまり自分からこどもに対して

「こうするべし!」という方向で力を加える

言動をしたことがない。

 

もちろん。

命や健康に関わること、

自他の心に傷を与える危険があること、に関しては、

とくに幼少期、その越えてはならない線に

こどもが触れぬよう徹底して伝え続けてはきたけれど、

それ以外の物事に関しては、こども自身が

そのちいさな身体のなかから

どんな選択や判断を生み出すのか、

楽しみに待ち、よろこびとともに受け入れてきた。

 

このごろ、

中学受験を視野にいれた勉強をしている長女を

毎日4時間ほど自宅で私が教えている。

だいたいの時間はお互い笑わせ合いながら、

けれども決めた目標をちゃんと達成しながら、

順調に学習を進めている。

 

ただ、一点、どうしてもこれだけは

見過ごしてはいけないのではないか、

ひと言うてあげたほうがいいのではないか、

いやもう言いたい。言わずにはいられない。

と、自分にはめずらしく

「それは、やめときなはれ。」と

長女に強く伝えたことがある。

 

それは、

「この場合は、こうしたほうがいいのでは?」

という私からの助言に対して、

「いや。わたしはこうなので。」と、

目の前でピシャッとシャッターを閉める反応を

長女がしたときだった。

 

しかも、

そのときの反応は未熟さゆえの

彼女の思い込みによるものであって、

わたしの助言を受け入れた方が

彼女にとって利益となることが明白な場面であった。

 

その反応しちゃうと、あなた、損しちゃうかもよ🦆

とお節介おばちゃんが顔を出した。

 

どんなことであっても、

なにかを自分から生み出そうとするとき、

はじめから完璧なものを提供できることは

ほとんど奇蹟のようなもので、

だいたいの場合はその時点での自分の最善を

いったん相手に差し出してみて、

それに対する客観的な反応を受け止めたうえで、

修正を加えてより良いものに一歩近づけていく、

ということの繰り返しを

いかに真摯に誠実に行なったかが、

その後自分が得ることになる

果実の質や量を決めると、わたしは思っている。

 

ここで、重要となるのが

他者からの客観的な意見を受け止める「素直さ」、と

自分の頭で考え納得したうえで遂行する「修正力」、である。

 

ちなみに。

一度、受け止めた他者の意見のなかで、

やっぱり違うわこれは、と自分が考え至ったものは、

その場にそっと置いて去れば良い。グッドバイ。

 

ただ、いったんは素直に受け止めます、

という姿勢は

自身を向上させるために必要な情報を

引き寄せるためにも、

その後の修正の精度をあげるためにも、

とても大切なものだと私は思う。

 

だから、長女には「素直に」いったん、

相手の意見を受け止めてみること、

さらにはそれを精査して

いらないものは足元に置いて、

いるものはありがたく携えて、

「修正」を重ねていくこと、を

悠々とできるようになることを願ってしまったのだった。

 

 

その後、申し訳ないくらいに

わたしの助言に真摯に耳を傾け、

素直に受け止めてくれる長女に対して、

恐縮した私は、

これまで以上に適切であり、なおかつ

彼女の利益となる助言を提供できるよう

情報収集や準備に力をいれるようになった。

 

きょうも変わらず淡々と。

机に向かう横顔に尊敬の念を抱く。

自分も彼女のようでありたい、と思った。

 

 

f:id:maewomuite:20210609044351j:image

 

 

にほんブログ村 資格ブログ 司法試験予備試験へ
にほんブログ村

 

にほんブログ村 資格ブログ 司法試験へ
にほんブログ村