まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

こたえあわせは、これから。

 

お母さんって『挫折』したことある?

 

塾のテキストに漢字を書き込みながら話す

小学生の娘に問われて、天井を見上げ考える。

 

これまで自分が歩んできた人生のなかで、

いや、しかし辛かったなぁ…くぅぅっ!

と思うのは、

 

すべてを我慢して勉強一筋でやってきたのに、ずっと目指してきた京大には行けなくて

別の大学に進学してからの3年間と、

 

法律とは一切関わらない人生をこれからは生きていこうと決めて、

結婚してからの5年間、だ。

 

 

よくよく考えると、私にとって

『挫折』というのは

瞬間ではなく状態をあらわすもの

なのではないのか、と思い至る。

 

あなたは京大生になれませんよ、ざんねん!

を受け入れた時点、

わたしゃ法曹にはなりませんよ、やだやだ!

をはっきり選択した時点、

においては『挫折』といった類のものは

そこにはなくて、実際にあったのは、

『かつての自分が切望したそっちの道ではなく、

いまの自分の目の前に伸びるこっちの道を

これから歩くわくわく感』だった。

 

だがしかし。

じわじわとゆっくり時間をかけて

降り積もるホコリのように、

あるときふとその存在に気づくのが

自分の心に横たわる『挫折』感なのである。

あら、いつの間に、こんなところにいらしたの?である。

しかも、吹いても飛びやしない。

やだやだ。

 

あるとき、

もやもやした気持ちにけりをつけたくて、

お腰に携えた我が『挫折』感を正面に据え置いて、

正座してその中身を覗いてみることにした。

 

悲しさ、悔しさ、惨めさ、恥ずかしさ、情けなさ…

見栄、プライド、自分に対する理想…

 

何層にも重なったその中心にあったのは、

 

『もっとうまくできたはず』

 

という、

今の自分ならば知っている最善の方法や、

はっきりと示すことができる「当たり」の選択、

にもとづいた、

当時の自分への決して届かない助言だった。

 

 

そうか。そうだったのか。

 

では、その助言、今の自分によく聴かせて

『もっとうまく』やってみたらどうなるか。

 

運の悪いことに、私の場合は

自分が「いまこそ!」と結果を出そうと

挑んだタイミングではうまくいかなかったけれど、

 

今後は自分でタイミングを量産してみたらどうなるか。

 

つまりは、受かるまで続ける、

と決めてみたらどうだろう、と。

 

 

だから、冒頭の小学生の娘の質問には、

 

「まだ、ないよ。

挫折したどうかは、終わるまでわからないのよ。」

 

と答えて、真意を説明した。

 

うん。まだ終わったわけじゃない。

 

終わらせてたまりますかっての。

 

 

へぇ!と熱心に耳を傾けて、

「母、がんばって!」と応援してくれた娘が

再び机に向かい漢字を書き始める姿を眺めながら、

 

「どうか、この子は自分の望むタイミングで

努力が報われますように。」

 

と願う自分の本音と顔を見合わせて、

すこし苦笑いした。

 

 

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