一寸先は闇。
《一寸先は闇》
いいえ。
暗い、悪い、というわけではないと思っています。
ただ…
未来のことは、すこし先のことでも
まったく分からないものだなぁ…としみじみ感じ入っております。
自分自身のキャリアプランとしては、
こどもたちが小学生にはいったら まぁなんとか
ほどよく手も離れて法律の試験勉強にもその後の仕事にも
自分の時間をわりと注ぐことができるだろう、
との考えがありました。
長女を小中高一貫校に入学させたのも
中学受験や高校受験などの時間的・精神的起伏なく安定した状態で学校生活を送らせてあげたいと考えた、というのと、
自分自身も親としてこどものサポートを時間的にも精神的にも起伏なく比較的単調に行うことができ
数年に渡って勉強や仕事に安定した環境下で取り組めると見込んだ、という意図がありました。
しかしどうでしょう。
学年が上がって間もなくのこと。
長女の「お母さんの塾に行きたい。(私は中学受験の塾講師をしていました。)
学校の授業がぜんぜん進まなくてしんどい。
もっと、ちゃんと勉強したい。」という言葉に端を発し、
娘には選択肢はいくらでもあることを提示するため、
私の母校や他の中学校のオープンスクールに連れて行ったところ、「中学受験をする!」との決意に本人が至りました。
中学受験をするとなれば、通っていた小中高一貫校には魅力は一切なくなり、また電車での通学時間も体力的に負担になるため、
家から5分の小学校に転校することにしました。
いまは、中学受験塾に通いながら楽しく学校生活を送っています。
次女は、幼稚園生活が一年すぎ軌道にようやく乗り始めたときに まさかの園舎の耐震性の問題が生じて急遽休園。
これまた近くの幼稚園に転園となりました。
ようやく幼稚園に慣れて週に数日延長保育(16時ころまで)にも心の負担なく楽しんで行ってくれるようになり、私自身勉強時間を確保する上で重要な時間となっていたのに、突然それを失いました。
慣れない転園先ではまだ延長保育に行かせるのは次女の心の負担になるように思えて
現状、早い日はお昼前、遅くても14時ごろにはお迎えの毎日を送っています。
家庭教師代わりに塾の勉強の補足をしたり、
送り迎えをしたり、
長女の中学受験のサポートにも多大な時間を要します。
そのようなことが積み重なって、
この数ヶ月で自分の勉強時間が激減してしまいました。
あぁ。なんてこったぃ。
と、思いますが、仕方ないことです。
ロースクールに合格して、よし!いよいよこれからだ!というタイミングで父の末期ガンがわかり一年もせずに亡くなってしまいました。
ロースクール一年目の秋でした。
そこからグラグラと足元が揺らぎ、でも天国の父が悲しむから、と歯を食いしばりロースクール卒業だけは果たしました。
けれども自分のなかで、勉強ばかりしていないでもっと父との時間を大切にすればよかった、
自分の大切なひとは ほんとうに 突然いつ居なくなるかわからない、
自己実現なんかより いま目の前にある大切なひととの時間に全てを注ぎたい、
とそれまで根ざしてきた自分の価値観が大きく変わってしまいました。
当然。司法試験に時間を費やす気力も意志も
自分のなかでは すっかりなくなってしまいました。
数年後、当時を振り返り、「なんでよりによってあのタイミングだったのかなぁ…
あと数年ずれていたら私いまごろ法曹になっていたのにな。」という
それまで見ないようにしていた想いと目が合い、はじめてそれを認めたとき よくやく泣けました。
父を失ったことも、長年の夢と目標を失ったことも、実はとても辛く苦しかったのだ、とそのとき素直に受け入れることができたのでした。
いいこと、わるいこと。うれしいこと、かなしいこと。
とくにマイナスと思われる出来事がわが身に起きたとき、そこに「意味」を見いだそうとしてしまいがちです。
でも。
「そこに意味なんてなんにもない。」と私は思います。
プラスでもマイナスでもない出来事が、ただそこにあるだけだと思っています。
「あぁ。そうですか。そうきましたか。」
とただ心のなかでつぶやきます。
そして、
「さて。ここからどうしましょうか。」
と自分と相談しながら、少しでも明るい方に
まえにすすんでいくだけです。
一寸先は闇。
闇のなかにはいいこともわるいことも、うれしいこともかなしいことも、なんでもあるのでしょう。
とりあえず、まえにすすんでみます。
いつになるかはわかりませんが、いつか必ず。
目標に到達しようと思います。