まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

晴々と がんばる。

 

「負けず嫌い」だった。

子どもの頃から、ずっと。

自分が置かれた環境、その先々で

早々にライバルを見つけては、

心のなかで一方的に 対抗心を膨らませ

自分が優位になるための努力を必死に続けた。

大学受験の現役生の頃なんかは、

自分と同じ志望校を受ける可能性のある

全学生がライバルだと心底思っていた。

ごはんを食べているわずかな時間すら

「このあいだにライバルたちに遅れをとってしまったらどうしよう…」と、

深刻に真剣に心配していた。

 

たしかに。

ライバルたちに「負けたくない!」気持ちから

必死で努力することを迫られるため

自分の能力の一部分は確実に向上すると思う。

自分自身も 他者へのライバル心を原動力に

なにかしら向上させてきたものはあったと思う。

 

だけども、だ・け・ど…である。

 

その方法でしか自分を向上させることができなかったの?

と、いま 思うのである。

 

「負けず嫌い」や「ライバル心」というのは

負けたくない対象が

自分以外の他者に向いている限り 常に

自分がライバルに負けるのではないかという「恐れ」と、

自分はライバルと比べてこのままでいいのかという「不安」と、

両手を繋いて どんと居座るものである。

 

自分が掲げた目標に到達するまでの

決して長くはない そのあいだ、

「恐れ」や「不安」を燃料に 自分のやる気を

燃やし続けるのは、

なんだか身体と心がすり減るようで 悲しくなるのである。

 

到達したい目標があること。

その場所に向かい懸命に日々を積み重ねること。

こんなに貴重な時間をすごすことができる機会に恵まれたのに、

その期間を「ライバルに負けたくない!」

との念が込められた足跡で敷き詰めていくのは

あまりにもったいないことのように思われる。

 

 

 

先日、

学校と幼稚園からいつもより早く帰宅した

長女と次女と自宅でのんびり過ごしていたときのこと。

2人が「ねぇ。どうやったらできるの?」

と、台所で洗い物をしている私のところに

トコトコ 手を繋いで訪ねてきた。

 

ふたりは、お互いにお互いを同時に抱っこして

持ち上げようとしていたのだった。

 

「いい考えだね。」と

私は ふたつの頭をなでて、

互いをどうにかして持ち上げようと

うんうん言いながらふんばっている、

ふたり諸共 抱きかかえて 高く持ち上げた。

 

 

互いに互いを持ち上げること。

明るい想いで 互いに 引き上げ合うこと。

 

物理的には無理な話でも、

精神的には可能であると思っている。

 

 

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「負けず嫌い」も その対象が他者でなく

自分自身に向けられているならば、

強く明るい力が宿るもの。

 

 

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