まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

だいじょうぶ。

 

「学校に行きたくない。」

そう はじめて長女が言ったのは 小学一年生の夏休み明けだった。

長い間 のんびりと家族と過ごした夏休みから

規律を守り 友達にも気を使いながら

気を張って過ごさなければならない 学校生活へと

気持ちを切り替えることは、

幼くちいさな心にはたいそう負荷がかかるものなのだろうなぁ…

仕方のないことだなぁ…と

長女の言葉を受け止めた。

 

その言葉を聞いた翌日から、

毎朝 10キロ以上ある3歳の次女を抱っこ紐で抱きかかえながら、

学校の正門前まで 長女と一緒に登校を続けた。

 

はじめの頃は

一週間くらいかなぁ…と気楽に考えていたけれど、

それが 半月、一ヶ月、二カ月…となり

とうとう一年生が終わる3月まで続くこととなった。

 

途中、もちろん ものすごく不安になった。

このままずっと ひとりでは学校には行けないままなのではないか。とか、

日に日に、正門前で泣いてしまう回数が増え

状況が改善されずにいるうちに、

そのうち自分が教室にまで一緒についていかないと

長女は学校にいけなくなるのではないか。とか、

終わりが見えないこと自体が大きな不安として

心に重くのしかかっていた。

 

そんなとき、ふと思い出したことがあった。

私は、登園拒否

(理由は担任の先生との相性が良くなかったことと、

お友達から仲間はずれにされていたことだった。)をしていた時期があり、

幼稚園を脱走して自宅に帰ろうとするところを

度々 連れ戻されていたのだけれど、

ある日 母が手作りのお守りをかばんに入れてくれた。

そのお守りのなかには、家族の写真と

母からのちいさな手紙がはいっていた。

「おかあさんは、さやかちゃんといつもいっしょにいるから だいじょうぶだよ。」

と書かれていた。

 

以来、幼稚園に行きたがらないことはなくなり、脱走もしなくなった。

幼いころの記憶だけれど、

母のお守りをぐっと握りしめると

お腹のまんなかに どん!と力が湧く感覚があった。

 

そうだ!お守りを作ろう。

母からもらったお守りの中身を出して 

さくらいろの毛糸の袋はそのままに

自分から長女へのお手紙と、

「だいじょうぶ」のメッセージをこめて

チクチク縫ったうさぎのちいさなぬいぐるみを入れて、

長女のスカートのポッケに忍ばせた。

 

翌日。何も変わったことはなかった。

次の日も、また次の日も、

長女は泣く泣く学校に向かっていった。

けれども確実に自分のなかで変わったことがあった。

 

先の見えない不安で 心が潰れてしまいそうなとき、

「だいじょうぶ。だいじょうぶ。」と唱えるようになったのである。

長女に届くように。

自分自身に言い聞かせるように。

すると次第にきゅぅっときつく不安で締め付けられていた心が、

するするとほどけていき…

「ま、いっか。

6年間付き添うのも いい経験かもなぁ。」と考えるようになった。

 

 

《だいじょうぶ》

それは…

かならず望みどおりにうまくいくから

だいじょうぶ、

ということではなく

 

どちらにころんでも なんとかなるから

だいじょうぶ、

ということである。

 

自分が追い詰められた気持ちになってしまったとき

誰か追い詰められた気持ちでいる方を見つけたとき

「だいじょうぶ。」

と伝え続けることができたらいいな、と思う。

 

 

今日は長女の始業式だった。

冬の静かな朝の空気を通り抜け

「いってきます!」と

彼女は顔を上げて 学校に向かって行った。

 

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