まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

「わからないこと」が わからなくなる前に。

 

こどもに勉強を教えるときに

細心の注意を払って取り組むようにしているのは

その子がその分野を「はじめて」学習する場面において、である。

 

「はじめて」のときに その分野や問題を

どんなに時間がかかったとしても焦らず

丁寧に確実に 根っこのほうから 理解させてあげておくと、

その根は、

あとは自然に降ってくる知識の雨に委ねておけばぐんぐん伸びて 

土にしっかりと根ざし揺るがなくなる。

 

反対に、切り花の茎を土に直接差し込んで

手っ取り早く見栄えのよいお花畑を作り出すような、

「わかったつもり」の「理解の不十分な知識」を増やしてしまうと、

一時は優秀で素晴らしいと讃えられるし、

よい気分も味わえるが、根のない知識は

そのうちかならず枯れるときがくる。

 

 

自分がそうだった。

「思考を伴う数学の理解」ではなく、

「単に数式の処理方法を覚えた」だけだった。

それなのに、幼い子が高校教材を解いている!

と周りの大人たちが喜ぶものだから、

自分は数学が得意なのだと思い込むようになった。

 

そんな土に差し込んだ切り花が、枯れたのは

高校生になったときだった。

 

一年生最初の 数学Aの「集合」の授業が

何を言っているのかまったくわからなかった。

数学は得意なはずなのに…愕然とした。

数式の機械的な処理ではなく、

本格的な「思考力」を問う段階に学習が進むにつれ

大きな壁にぶつかり立ちすくむようになった。

 

単なる勉強不足なら希望がある。

勉強をもっとすれば解決するからである。

けれど、自分の場合は違った。

 

「自分は何がわからないのかが、わからない。」のである。

 

「理解が伴わない」知識のやっかいなところは、

それがもう 不確かさを持ったまま「わかっていること」

として自分の中に収まって深く潜り込んでしまう点である。

 

自分の奥深くに落ちてしまっている

「わかったつもりだけど 実は わかっていなかった」知識を

探し出し、捕まえて、理解し直す作業は

ほんとうに、ほんとうに、

多大な時間と労力が奪われるものである。

実際、すごく大変だったと記憶しているし、

「はじめて」のときに丁寧に確実に思考を経た

納得をもって知識を習得した方々と比べると、

自分は何倍もの 時間と労力の浪費をしたと感じている。

貴重な時間をそんなことに使ってしまい

もったいなかったなぁ、といまでも思う。

 

なので。

こどもに勉強を教えるときに限らず

自分が勉強をするときにも、

 

自分の「わからないこと」が

自分でもわからなくなる前に、

 

ひとつひとつの知識や情報と「はじめまして」の場面では、

それらを 誠実に丁寧に扱い

自分の中におさめるように、と心がけている。

 

 

 

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こどもにも。自分にも。

できるだけ整理された 必要なものだけを

大切に丁寧に おさめてあげたい。

 

 

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