管理できるだけ。
家庭のことや仕事が
とても、とても 忙しい時期の只中にいる。
ひとつ ひとつ 懸命に、でも 出来うる限り丁寧にこなしていくことを 自分と約束し それを守ることに必死な毎日だ。
中学生の頃から、中間・期末テスト前などの気合いをいれて物事に当たらなければならない時、なぜか必ず部屋の掃除や整理整頓を始めてしまう。というか、それを経ないと勉強に向かっていけない感覚にとらわれてしまう。
その習性はいまも変わらず、こうして
「忙しくなるぞ!無事に ひとつずつ ちゃんとこなすことができるかしら!」という時期に差し掛かると、
無性にお掃除・整理整頓がしたくなっていてもたってもいられなくなる。
家中の大掃除になった。
目指すは《なにがどこにあるか。完璧に自分が把握できている状態。》である。
その目標を達成するために必要不可欠なことは、モノを減らすこと。
どれだけがんばって整理整頓をしても
モノが多いと自分でどこになにがあるかが把握しきれなくなり、わりとすぐに行き詰まってしまう。
家の不用品がもう無いか探しながら考えていたのは、勉強も同じだな、ということである。
ぼちぼち短答の対策もはじめなければ、と
過去問集をどれがいいかと探していたのだけれど、
以前の自分は[なるべく詳しく、網羅性があり 情報量の多い]過去問題集を求めて購入していたのに対し、
今の自分は[なるべく簡潔に、必要最低限のことだけが書いてある]過去問題集を求め探すようになっていた。
勉強に充てることに許された時間が圧倒的に以前より少なくなったこともそんな志向の変化の一要因だと思うけれど、
たぶん時間がわりとあっても今は【自分が管理できるだけ】しか、モノも知識も情報も必要としないように思う。
どれだけ多くの知識や状態を手に入れたとしても結局、試験本番で使うことができるのは
自分が管理できる選りすぐりの知識や情報だけだと思うからである。
「基礎を徹底的に」とか、「同じ問題集を何度も繰り返して」とか。
試験に向けた勉強のアドバイスでよく耳にするこれらは、「自分がきちんと管理しきることができる」知識や情報を身につけることの重要性を伝えてくれているのだと私は受けとめている。
さて。家は自分できちんと管理できる状態に整理された。
次は頭の中だ。
洗濯洗剤も、ささっと取り出せるように。