アウトプットを多角的に。
いま、長女はかけ算を習っている。
寝る前、呪文のように
長女の耳元で九九を唱えていたら
あっという間に覚えた。
こどもの、物事を吸収する力には
いつも驚かされる。
昨日、学校から
九九を覚えたかの確認をするチェック表を
持ち帰ってきた。
どれどれ…とのぞいてみると、
「のぼり」「くだり」との欄がある。
「これなぁに?」と長女にたずねると、
「例えば2の段だったら、
のぼりは、2✖️1、2✖️2、2✖️3、2✖️4…って一から のぼっていって、
くだりは、2✖️9、2✖️8、2✖️7、2✖️6…って今度は九から くだっていくの。
で、最後はバラバラの順番に言って
10秒以内に間違えずに言えたら、
合格のスタンプがもらえるの。」
と話してくれた。
感心した。
医療もだけど、教育も日々進化しているのだなぁ、としみじみ感じ入った。
単に前から順に暗記した九九という呪文をはき出すだけでは不十分で、
のぼり、くだり、そしてランダムに九九を正確にアウトプットできてはじめて
求めるレベルに到達できた、ということなのだ。
多角的にアウトプットさせることで「思考停止」を防ごうとしている。なんたる工夫…
私が小学生の頃は、それこそお経のように
心を無にして、九九を唱えて暗唱したものだ。
頭なんかちっとも働かせなくても、
九九を完璧に覚えることができたし、
言うことができた。
あぁ…これがあの有名な
「論証ブロック吐きだし」という現象と同じことなのかしら、と ふと思った。
ロースクール時代、これを激しく嫌う先生がいらっしゃって なんか怒っていた気がするし(いわゆる金太郎飴答案)、
おそらく司法試験が「新」司法試験に変わったのも、この現象を避ける目的もあったのではないかと、なんとなく感じていた、あれだ。
いまは、「論証集」と名のつくものであっても、
《思考》を経たうえでの〈まとめ〉として使うことが前提として作られていて
(少なくともアガルートはそうだと私は思うのだけれど。)、
昔のように丸暗記することが前提で作られていない。
すごいなぁ…法律の世界も日々進化しているのだなぁ。
ひととおり感心したので、
自分の勉強の仕方もちゃんと
アウトプットが多角的になるように
考えていかなくちゃいけないな、と思う。
もうすぐアガルートの総合講義100が
全科目聴き終わるので、
そんなことを ぼちぼち考えはじめている。