強くなる手段。
強い立場にいるひとに対して、
「あなたは自分がほんとうに間違っていないのかどうか、一度しっかり考えてみたらどうですか。」
と詰め寄り、
弱い立場にあるひとには、
「あなたはご自身が間違っているだなんて、どうか思い込まないでくださいね。」と力添えする、
それを正当な立場からそれぞれの心に届く形で
力強く発言できるだけのものが、
今の自分にあったらな…と強く思う場面にきょうも出くわしてしまった。今回は、職場で。
力関係が上の者、権力を持つ者こそ 常に、
「自分は間違っているかもしれない。」という重しを自らの上にのせて置かなければならないものだと思う。
けれども現実は…
強い立場の者が 「自分が正しい」ことがあたりまえな顔をして、
力関係が下の者、弱い立場の者の上に その重しを放り投げ さらには刺々しい言動で痛めつけているのである。ほんとうにこの構造はあちらこちらに見受けられ、目の当たりにするたびに頭と胸が締め付けられる。
弱い立場にあるひとの悲しくうつむく姿に、畳み掛けるように攻撃を続ける傲慢なうしろ姿を睨みながら、ほんとうに許せないなぁ、と思う。思うけれど、
目の前のその状況を どうにもできない今の自分のことが たぶん一番許せないのだろうな、ということに
帰りのバスに揺られながら はたと気づく。
勉強して、司法試験にうかったら、何か変わるのだろうか。
いまの私の言葉には宿らない力が、法曹になれば宿るのだろうか。
そんな簡単な話ではない気はするけれど、
自分が今より「社会的に」強い立場になることで変えていけることがあるならば、
今の自分では聞いてもらえない言葉が、聞いてほしいひとまで届く言葉に強化されるのならば、
仕方ない、やるしかない、と思いながら
帰り道の急な坂をとまらずに登りきった。
アガルートのメンテナンスで一時的に動画が見られなくなる前に、商法は終わらせてしまいたい。
〈アガルート進捗状況〉