まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

自分由来の。

 

ロースクールを卒業して法律から離れて

もういちど 司法試験の方向をむくまでの間、

何回か…

『もし いますぐ司法試験の合格通知が

自分の手元に届いたら どうする?』

と ふいに想像することがあった。

 

なぜだろう…

『やった!』とも『うれしい!』とも

思えない自分がそこにはいた。

 

あれ?

ロースクールにいた頃の自分は

空から司法試験の合格が自分のところに

まぐれでいいから

コツンと落っこちて当たってくれないかしら…と

窓の外をぼんやりながめていた気がするのだけれど…

 

『そんなの要らない。』と心が言う。

 

 

 

結婚式の日。

自分のとなりには 当たり前に父がいて

父と腕を組み  神父さまに向かい一歩いっぽ

ゆっくり歩き進む姿を 幼いころから夢みていた。

でも、現実はちがっていた。

となりにいるはずの父は空にいた。

うれしいけれど、かなしい。

そんな結婚式だった。

 

以来、知人の結婚式に参加するたびに

すこし胸の奥のほうが チクッとする自分がいた。

父親と寄り添う花嫁さまの後ろ姿に、

自分には叶わなかった夢を目の当たりにする気持ちになり、

人知れず傷ついていた。

 

ある時 友人代表のスピーチを結婚式で頼まれ、

親族の控え室までとおしていただき

花嫁さまとそのご両親と式本番までご一緒させていただくことになった。

 

また胸の奥がチクッと痛む予感がして

うつむいて気持ちをしっかり持とうと気合いをいれて

重たい扉をあけて控え室にはいると、

友人である花嫁さまとそのお父さまが会話を目の前でなさっていた。

おふたりの父子関係は、自分と父とのそれとは

大きくちがい、すこし驚いた。

 

そして、

「あぁ。そうなのか。」

と すっと心に隠し持ってきた チクチク岩が

その瞬間 砕けていったのである。

 

 

自分が望んでいたのは

『私の父・隆雄』が『私の結婚式』にいて欲しかったということであって、

いま目の前に存在しているような 単に、

[結婚式に父親がいる]という形・状態

ではないということを はっきり認識したからである。

 

 

それからというもの…

自分が持っていないこと

まだ手に入れていないものを

他者が有している状態を目の当たりにしても

むやみに 落ち込んだり うらやましくなったり しなくなった。

自分の心から出てくる反応も、

「へぇ。」「ほう。」「よろしいなぁ。」くらいである。

だって、それは『自分』に由来するものではないから…

「そんなもの。要らない。」なのである。

 

 

自分は時間を一日いちにちどう使ったてきたか、

自分がどんな想いを重ねてそれまで過ごしてきたか、

そんな[自分の生き方]そのものから

丁寧に時間をかけて紡ぎ出されるものこそが

『自分だけの合格通知』なのだと思うし、

これがいまとても欲しいなぁと思うものでもある。

 

 

まだすこし時間はかかるけれど、

手を伸ばし続けたいなぁ。

 

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