時間の蓄積率。
ロースクールにいた頃は、
自分の時間をすべて勉強に使う事ができた。
いまは、
自分の時間の大半を勉強以外に使うことが責任として課せられている。
けれども不思議と、勉強後の達成感は
圧倒的に勉強時間の少ない いまの方が
ロースクールにいた頃より 強くある。
到達目標が建築物を完成させることだとすると、
ロースクールにいた頃の自分の勉強は、
さらさらの砂でなんども形作っては崩れて…を
膨大な時間を費やして繰り返し
なんとか目指す建築物を建てようと
闇雲に汗を流していたようであったけれど、
いまの自分の勉強は、
レンガをひとつ、限られた少ない時間のなかでぽつり ぽつり…と積み上げて
いつか目指す建築物が建つ日がかならず来るのだろうな、と
ぼんやり信じているようである。
感覚的なものだけれど、はっきり感じるのは
同じ量の時間を使ったとしても
昔といまとでは、その時間の『蓄積率』には
大きな差がある、ということである。
10の時間を費やしても、さらさらこぼれ落ち2くらいしか蓄積しなかった昔とくらべると、
4の時間をしか費やせなくても、そのまま4蓄積できる今の状況は
たとえ勉強時間そのものは少なくとも
蓄積率が高いので
そんなに悲観しなくてもいいのではないかしら…と、
ときどき 励ましがてら 自分に言い聞かせている。
ないものは仕方ない。
あるものを存分にいかして進みたい。