まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

深く。より深く。

 

「このテキストだけでは不十分。」だとか、

「その問題集だけ繰り返しても合格には足りない。」だとか。

 

ロースクールの自習室の近くの廊下で

習熟度の高い学生さんたちが

そのような会話をしているのをよく耳にした。

 

その頃、

自分はすべての法律科目を一から学習し始めている習熟度の低い学生だったので、

度々聞くその類の話も なんのこっちゃだった。

 

それから…

ひととおり司法試験の法律科目の基礎を知り

演習問題にも取り組むようになって、

今一度 あのときの学生さんたちの議論に想いを

馳せることとなった。

 

 

《ひとつのテキストや問題集を繰り返し学習すること》

自分は、この勉強方法がやっぱり効率的で

良いんでないかなぁ…と思う。

でも、それには、ひとつだけ前提がある。

それは、

「自分」が繰り返すたびに

「掘り下げる」ことができている、

と感じることのできるテキストや問題集を使っている、

ということである。

 

言い方を変えると…

繰り返すたびに なにかひとつでも

「前に取り組んだときには気づかなかったこと、気にならなかったことを、

新たに見つける体験ができるテキストや問題集」というか、

 

「1回目より2回目、2回目より3回目…と

その箇所、その問題に 繰り返し 巡り合うたびに、

一段さらに一段と

見え方が景色が変わってくるテキストや問題集」というか。

 

「自分にとって」のそのような体験ができる

テキストや問題集のことを、

《相性が良い教材》というのではないか、と

思うのである。

 

 

なので、冒頭の学生さんたちの会話というのは

それぞれ正しいのだろうなぁと思う。

なぜなら、

当該教材が「自分にとって」

掘り下げることができる教材であるか否かによって、

それを2回、3回と繰り返し学習することの効果に

大きな差が生じると思うからである。

 

「これだけでは足りない。不十分。」と

「そのひと」が感じる教材は

そのひとにとっては そうなのだろうし、

またその反対に、

「これを繰り返すだけで足りる。十分。」と

「そのひと」が信じることのできる教材は

そのひとにとっては そうなのだと思う。

 

 

自分自身も

いろいろな予備校の講座やテキスト、問題集、基本書を手に取り学習してきて、

よくやくたどり着いた「自分にとって」《相性の良い》教材が

アガルートの工藤先生のものだった。

テキストを読むたびに、問題を解くたびに新しい発見がある。

 

 

ロースクール時代に聞いた話で

文学部出身の方が ひたすら

全科目の主要判例の 一審、控訴審、上告審を

順にすべて読み込んでいき、

ほんとうにそれだけで本試験を受けて

一発合格されたというのがあった。

ほんとうかしら…と驚いてしまう合格体験談

だけれど、

文学部出身で きっと 「情報を読みとる」能力に秀でている方であったために

全判例の全文を読むたびに

新たな発見をなさりながら学習を進めていらっしゃったのかな…

その方にとっては判例がいちばん《相性の良い》教材だったのかな…と

考えると 理解できる気がする。

 

 

「繰り返し」というけれど、ほんとうは

「掘り進める」ということなのではないかしら。

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植木鉢を掘る 我が家の犬。

 

 

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