まえをむいて。

2009年にロースクール卒業。 司法試験受験回数0回。 平日は7歳と10歳の子育てをする主婦、 週末は仕事、をしつつ、 予備試験・司法試験合格を目指しています。 いまから、ここから、はじめます。 まえをむいて。

「やりたくない」の根っこにあるもの。

 

仕事でも、勉強でも。

身体いっぱい やる気に満ちているときがあったかと思うと、

あぁ…なんだかやる気になれない…というときがくる。

 

あんなに前向きに取り組む気持ちが確かに

自分のなかに存在していたはずなのに、

あれは一体どこにいってしまったのだろう。

と、考えていた。

そう。只今、やる気が家出中。おーい…どこにいった。

 

 

これまでいろいろな仕事(アルバイトを含む)を

経験してきたけれど、

自分のやる気の上昇や減退には

ひとつ法則があったのではないかと思い至る。

 

《対象に対して、

時間を忘れて取り組むことのできる状態になっているかどうか》

 

この点に自分のやる気は左右されている気がするのである。

 

「それに夢中になっているかどうか。」とも

言い表せそうだけれど、

自分の感覚としては そこまで良いものでもない。

 

デパートのイタリアンレストランで働いていたことがある。

仕事をひととおり覚えるまでは やる気に満ちた状態だった。

しかし、そのお店には1日に2、3組しかお客さまがいらっしゃらず、

なんとか仕事を見つけ出しやることをやり尽くしてもなお

時間だけは有り余り、ものすごく暇だった。

何もせず、職場に居るだけで賃金が発生して

楽でよい仕事ではないか、と自分に言い聞かせたけれど、

仕事が終わる時間を

まだか、まだか、と待ちながら過ごす日々は

自分のやる気をすっかり消滅させた。

ちょうどその頃、店長がお尻を触ってきたので

だめだこりゃと 早々に仕事を辞めた。

 

これは、時間を忘れて取り組むどころか、

時間の経過に意識が向いている

典型的な やる気を欠いた状態を招く事例である。

 

営業の仕事も、販売の仕事も。

仕事の要領を掴むまでは 時間を忘れて

それこそ夢中になって 取り組むことができていて

しんどい気持ちを やる気が凌駕する状態にあるのだけれど、

次第に仕事ができるようになってくると

時間に意識が向かうようになり、そうすると

やる気はみるみる萎んでしまい

できるだけ早く時間が過ぎ

仕事から解放されることを願うようになっていくのである。

 

 

これらの事例と今の自分の状態とを見比べてみる。

そうかそうなのか、と思う。

 

勉強が進むにつれ 自分が、

《きょうは何を学習して 自分のなかに習得するか》

ではなく

《どれくらいの時間勉強できるか》

を以前より遥かに強く意識し、

重要視するようになっていることに気づく。

 

以前の自分は、

「なにかひとつだけでも得られるものがあればいい」と、

細切れ時間も大切に思えていたのに、

 

今の自分は、

「どうにかまとまった時間を確保して 集中して学習しなければ。」

との想いが強くなっていて、

 

学習内容の重量より 学習時間の長さに

価値を置くようになっていた。

 

 

学習内容の重量に意識を戻し、

『時間を忘れて取り組むことのできる状態』を

細切れ時間の中でもいかに作り出すことができるか、

が今の自分の課題である。

 

 

 

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時間に意識が行くようになったということは、

ただ必死に学習し 手当たり次第習得していた段階からは

一歩進んだ段階になった証でもあるはず…

 

 

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