できるかどうか、みてみたい。
「このままではだめだ!」
「もっと頑張らなくちゃ!」
「まだまだ 努力が足りない!」
を自分に対してずっと続けていると
いつかどこかで ぷすっと…
こころにちいさな穴が空く。
そうなってしまうと、もう
いくらがむしゃらになって自分を奮い立たせ
こころに空気を送り込んでも 一向に満たされず
ついには本領発揮が叶わなくなる。
それでも望んだ結果を得ることは可能だけれど
できることなら もうすこし自分に優しい方法を
探してみたいと思うのである。
とは言え…
「もう頑張るのはやめた。」とか
「自分は これから ゆるく生きていく。」とか
自己を律することすら投げ出すような心持ちとは、
疲れきった心がちゃんと回復したのなら
きちんと距離を置きたいとも思う。
シャカリキがんばる!と もうがんばらない!
のあいだを 何度も行ったり来たりしているうちに、
「がんばる」という感覚が
自分の中から さっぱり 消えてしまった。
もうそういう ひたむきな時期は
自分の人生という道のりのなかでは、
過ぎ去り終わってしまったのかな、と思った。
「がんばる」のあった場所が空っぽになって
数年がたった ある日のこと。
その場所に ぽっと 産まれてきたものがあった。それは…
《できるかどうか、みてみたい。》
という想いであった。
いまからこれに取り組んでみよう!
それが 自分にできるかどうか みてみたい。
取り組みを続けたその先に
一体なにがあるのか みてみたい。
どんなことが起こるのか みてみたい。
今の自分は、
この《できるかどうか、みてみたい。》
の想いを原動力に前に進んでいる。
この想いは、
倦まず弛まず(うまずたゆまず)
※倦む・・・・・飽きる
※弛む・・・・・緊張がゆるむ
今できる限りのことを行う精神と親和性があり
長期間にわたる課題に取り組むとき
とても役に立つものであると感じている。
予備試験に、司法試験に、
合格する自分をみてみたい。
そんなに 遠い未来でないといいのだけれど…