みんなが幸せ
みんなが心おだやかに幸せに生きることは
どう頑張ってもできないものなのか、と
たまに考えることがある。
昨日もそんなことをぐるぐる考えていた。
いまの刑事司法を変えたい、そんなことを
ロースクール入試のステートメントに書いた。
刑事司法に携わり、被告人の言い分をきちんと聞いたうえでその心と正面から向き合うことで、
内省のきっかけを作り 更生に向かうよう働きかけをする最後の砦の役目を自分が果たしたいと考えていた。
その後、いろいろな現実を目の当たりにし、自分の信念がゆらいだ。生まれ育った環境、いかなる出会いに恵まれるか、が犯罪から人を遠ざける最も重要な要素だと感じるようになった。人を育むことに関心が向かった。
仕事で、自身の子育てで、たくさんの「育み」のまさにその過程にいる「育まれているひと」と「育むひと」を見てきた。
ここでもまた自身の介入できる範囲の限界を感じた。
問題をみつけても、いまのルールでは根本的な解決に至らないのを ただ眺めるしかできないのだろうか。
北風と太陽の話を想う。
強制力をもってではなく、じんわりと穏やかに 事態を良き方向にむかわせる方法はないものだろうか。
昨日は朝から仕事。気楽に働いてきたけれど、信頼関係が築かれていくにつれて増える重責にちょっと疲れた気分になる。
夫が英語の勉強をはじめた。iPhoneのSiriを相手に、英語バージョンに切り替えて 英語で話しかけている様子が微笑ましい。
まったくSiriとの会話が噛み合っていない。笑